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二人の新任艦長 第2部

19、

ロイエンタールが部屋の外に出ると、そこには毛足の長いカーペットを引いた廊下があり、面食らった。廊下の中ほどに重厚な装飾が施されたリフトがあり、黒地に金縁の下向きのボタンだけがあった。ボタンを押すとすぐにリフトがやってきて、彼はそれに乗った。中に入るとカードキイをかざす位置があり、カードを承認してようやくリフトが下の階に向かって動き出した。

一番下の階に到着すると、そこは彼が想像していた通り、ヴァルブルクの繁華街に立つ高級ホテルのロビーで、ファーレンハイトが住むのはそこのペントハウスだったと知れた。たび重なる外征のため家に居つくことがない青年には実際の所ぴったりの部屋だろう。軍服もホテルならいつでもクリーニングに出せる。

ロイエンタールはめったに人をうらやましがったりしないが、こんなところに住むのも悪くないと思った。孤独で静かな自分だけの場所だ。

任務のない休日の朝の街を歩いて官舎へ向かう。昨晩、居場所と酒を求めてあちこちのバーやクラブをうろついたこと、おそらくその間に酔っぱらって眠り込み、大佐の世話になっただろうことが今の彼に分かっていることだった。そして、夜中に熱を出したのだろう。

―あの大佐も酔狂な男だ。おれなど適当に放り出してしまえばよかったのに。

だが、今の自分が不思議と身も心も安らいでいるのは彼のお陰かもしれなかった。無性にミッターマイヤーに会って話がしたかった。

官舎に着き、自分の部屋よりもむしろ隣のミッターマイヤーの部屋を目指して歩く。昨日と同じように隣室のブザーを押そうとしたら、今度は押す前に扉が勢い良く開いた。

髪の毛がぼさぼさのTシャツ姿のミッターマイヤーがそこにいた。

「おまえ、ロイエンタール! 一体どこに行ってたんだよ!! 部屋にもいない、彼女の所でもない、街から忽然と消えたみたいだって、おまえの副長がパニックになって俺の所へ来て…」

ロイエンタールの両肩をつかんで、ミッターマイヤーは揺さぶった。つかまれた方は言われたことにハッとして、驚愕に目を見開く。

「ああ…! そうか、しまった…!」

そして軍服のポケットを探って端末を取り出した。ミッターマイヤーは相手の両肩を離してやる。彼が見ていると、相当慌てた様子のロイエンタールが端末を取り落としそうになった。

やがてようやくバルトハウザーと連絡が取れ話しだす。

「…ああ、そうだおれだ。ああ、うん、うん…、いやその通りだ、すまなかった…。実は急に熱が出て…、いいや、もう何でもない、大丈夫だ、介抱してくれる人がいて、その人の部屋で…。大丈夫だ、気にするな。ああ、うん、分かっている。今日は一日中部屋にいる。ううう…来たければ来ればいい。うん、ではな」

端末の通話を切ると、ロイエンタールはほっとしたようにため息をついた。ミッターマイヤーはからかうように言った。

「昨日、おまえが寄りそうな所に連絡しまくったが、ゾフィーとかいう彼女も心配していたぞ。一緒に探すと言っていたが、彼女は仕事があったからな、そっちにも連絡した方がいいんじゃないか」

ロイエンタールはじろりと親友を見たが、黙ってテキストを打ち出した。見られるのを嫌がる手元を覗き込むと、『慌てたミッターマイヤーが、おれがいないと連絡したようだが…』などと入力している。

「なんだよ、『おれが中将閣下に呼ばれていたのを忘れていただけだ。心配させたなら悪かったが、もう帰って来たから気にするな』、だと? 偉そうな謝り方だな。熱があったというのは本当か? 何もなかったことにするのか」

「知ったら余計に気にかけることになるから、このほうがいいだろう。それより部屋に入れてくれ」

ミッターマイヤーはロイエンタールの部屋の扉をふさぐ位置に立っていたことに気付き、横にどいた。ロイエンタールは首を振った。

「ちがう、おまえの部屋に入れてくれ。少し話したいことがある」

珍しいこともあるものだと、ミッターマイヤーはりりしい眉をあげた。自室の扉を開けて親友を中に通す。

官舎はどの部屋も窓が小さいせいで少し薄暗い。ミッターマイヤーの部屋も例外ではないが、幸い角部屋であるため、2方向から採光があるお陰でロイエンタール自身の部屋よりは明るかった。だが、先ほどまでいた大佐のペントハウスなどとは比べ物にならない。

それでも、この部屋にはミッターマイヤーらしさがあり、それが彼をほっとさせた。部屋の中は雑然としているが、汚れてはいない。気に入ってすぐそばに置いているものや、食べ物がテーブルに溢れているが、それ以外はよく掃除しているため清潔で、二つだけの窓も開け放して風が通っていた。

ロイエンタールは小さなキッチンに備え付けのスツールに腰かけ、カウンターに肘をついた。不思議そうに自分を見る親友に声をかける。

「コーヒーが飲みたい、コーヒー」

「…インスタントでいいか」

ロイエンタールは肘をついた手の上に顎を乗せて、黙って頷く。ミッターマイヤーもロイエンタールと同じくコーヒーが好きだが、家に置くコーヒーにこだわりはないようだ。近所で買った大衆的なインスタントコーヒーを二つのマグカップに入れる。

ミッターマイヤーはカウンターに寄り掛かってコーヒーをすすって親友を見た。何かが昨日までと違うような気がした。

「父親が死んだんだ」

ミッターマイヤーはハッとしてカップをカウンターに置いた。

「…だれの?」

「おれの。オーディンにいて、ずっと病気だった。ここに来たばかりの時に超高速通信で見たのが最後になった。その時、妙に弱々しく見えて、ぎょっとしたもんだ。そうしたら、昨日死んだと連絡があった」

「…そうだったのか…。せめてその前に通信で話せてよかったな」

ロイエンタールは首を振って笑った。

「話せてなどいない。顔を合わせるたびに罵声の応酬だ。しかも、今まで直接目を合わせてまともに会話したこともない。物心ついてからずっとそうだった」

ミッターマイヤーの戸惑ったような表情に気付き、やはり言うべきでなかったかと思う。だが、一度これまで思っていたことを口に出してしまうと、そのまま仕舞ってしまうことが出来なくなった。

「ずっと、やつのことなどなんとも感じていないと思っていた。やつが病気になろうが、金を稼ごうが、おれとは関係ないことだと。だが、死んだと聞いた時、やっぱりおれにとっても父親というのは他の誰とも違う存在なのだと気づいた」

「…そりゃそうだろう、この世に二人といない家族だ。今までいろいろあっても最後には愛情が勝つ」

「愛情…?」

ロイエンタールの鋭すぎる視線が、その親友の心配そうな顔に突き刺さった。

「おれは気付いたんだ。あいつを憎むなどというような、あの男に対してなにかの感情を持つことすら、馬鹿げたことだと思っていた。だが、おれはあいつに対して今まで誰にも感じたことがないくらい、強い感情を持っていたと気づいた。おれは、あいつが、大嫌いだ。憎んでいるんだ」

ロイエンタールは一語一語切って吐き捨てるように言った。少しうつむき加減のその顔が、額にかかった前髪の間から見えた。その目はどちらの色も強烈すぎるほど鮮やかな色合いで輝いていた。

ミッターマイヤーにはその目は泣いているように見えた。

「おれが今までなんとか生きてこられたのは、あいつをいつか見返してやる、という思いが根底にあったからだと、今更ながら気づいた。だが、あいつはおれが見ていない時に死んでしまった」

ロイエンタールは俯いた顔をあげて親友をみた。

「もう生きている甲斐もないと思った」

ミッターマイヤーは声も出ずに、相手の肩に手を置いた。ようやく絞り出すように言う。

「今もそう思ってるのか…?」

親友の少し荒れたがっしりした手に自分の細く白い手を重ねて、ロイエンタールは首を振った。親友の手は暖かく感じられた。

「昨日、熱が出て…、おれの身体は生きるために熱と戦ったのだろう。起きてみたらもうそんな気持ちはなくなっていた。不思議だが…。おれはしばらくはまだ生きようと思う」

ミッターマイヤーの手に手を重ねたまま、ロイエンタールは立ち上がった。

「おれはけっしてあいつがおれにしたことを許さない。おれが死ぬ日まで、忘れない。これからはあいつがしたことを1日、1日思い出して、それを生きる糧にしよう」

何も言えずに立ちつくすミッターマイヤーに近付き、その両頬に接吻すると、まるで慰めるように背中をポンポンと叩いてから離れる。そして部屋を出て行こうとした。

ミッターマイヤーがその後ろ姿に話しかけた。

「俺やみんな…おまえを知る者たちのために生きてくれないのか」

ロイエンタールは立ち止まって、少し振り返ってから言う。

「…おれは自己中心的なのかもな。誰かのために生きることが出来ると思えない。おれが生きているのはあいつに対する感情に、どうにかけりをつけるためだけなんだ」

 

ミッターマイヤーは親友が出て行ったあとも、彼が座っていたスツールを見つめて立ちつくしていた。なにか、もっと前向きになれるような、しかし、傷ついた親友の心に沿うような言葉を言いたかった。だが、言うべき時に彼の口は動かなかった。

親友とその父親の間に何があったのか、父親はその息子にいったい何をしたのか。

俺の親友にそいつはいったい何をしたのか。

出世のためでもいい、女と遊ぶためでもいい、なんでもいいから、父親を憎むためだけに生きるなどという以外のことを言ってほしかった。死せる父親を見返すためだけに生きるなどと、なんてつらい言葉だろうか。

親友として彼は、ただ励まし希望を持たせるだけではなく、その憎しみを別のものに変えるような言葉を言いたかった。だが、彼にはそうするだけの力量がないようだった。

―どうかせめて、いつかその憎しみが少しでも和らぐといいが…

まるで彼には祈ることしかできないようで、それが悔しく感じられた。きっと、もっと世の中を知る者や、年を重ねた者だったら、良い知恵を持っているだろうに。

突然、隣のロイエンタールの部屋の扉を連打する音が聞こえた。

「艦長? おいでですか、艦長!?」

騒音が急にやみ、扉が開く音がする。内容は分からないがロイエンタールの声が聞こえてきた。

「一体どうなさったのですか。お熱があったとおっしゃっておいででしたが…」

また、それに答える声がして、しばらくすると扉が閉まる音がした。どうやらロイエンタールは副長を部屋に招き入れたようだった。

ミッターマイヤーはくすっと笑った。必死の副長の登場に弱り切ったロイエンタールの姿が目に見えるようだった。

これでいいんだ。ミッターマイヤーは少しほっとした。あのロイエンタールが『生きる』といった以上、もう簡単にはその生を手放しはしないだろう。生きている以上、彼が鬱屈として父親への憎悪のみに身を任す暇はなくなる。

ミッターマイヤー自身以外にも、彼の副長や部下、あるいはゼンネボーゲン中将のような人々が、彼を見守っているのだ。ミッターマイヤーが親友を支えるに力不足である時、きっと代わりになってくれるだろう。

 

 

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