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二人の新任艦長 第2部

16、 

ロイエンタールが中将の執務室に入室すると、中将はいつものように机の前に座って彼を待っていた。ロイエンタールは、なぜか閣下がずいぶんと厳しい表情をしているので、今回の子爵の内通について叱責を受けるのだろうか、と思った。だが、連隊長を差し置いて自分一人だけを叱責するなど中将らしくないことだ。

中将は立ちあがって応接用のソファへ彼をいざなうと、しっかり腰を落ち着けるのを待ってから、言った。

「先ほど、卿の叔母上、アンシュッツ夫人から通信があった。まず私から伝えてほしいということでな。卿の父君は昨夕、突然の発作のため意識不明になり、先ほど亡くなった」

中将はまったく表情の変わらないロイエンタールを見て、心を痛めた。

「出来ればオーディンへ戻りたいだろうが…。現在、ヴァルブルクは特別警戒態勢にあり、当方面軍の軍人は司令長官のご許可でもなければその持ち場を離れることは許されぬ。この謀反軍との戦いの決着がつくまでは、アンシュッツ夫妻がすべてを取りまとめるということで、私も同意した」

死を知らせる通信で、中将とは個人的に友人づきあいをしているアンシュッツが、必ずオスカーに理解を求めるべくよく言い含めてくれと頼んだのだった。

『今では彼がロイエンタール家の当主だ。彼が法律上の諸事万端をすべて解決するまで私が面倒をみるが、父上の資産を1マルクたりともみだりに動かさんことは保障する。だから、一番早い時期に必ずオーディンに帰ってくるように言ってくれ』

ロイエンタールはようやく答えた。

「私は父親の資産を欲しいと思ったことはありません。ですが、叔父が心を砕いてくれていることには感謝しています。ですので、許可が下り次第オーディンに戻ります」

「そうか、それでよい。グンツェンハウゼンの事はここだけの話、そろそろ機が熟してきたと私は見ている。卿はあまり間をおかずに帝都へ戻れるだろう」

ロイエンタールはさっと顔をあげ、中将の決意に満ちた表情を見た。

「とうとう全艦隊で出撃なされますか」

「…いまだ機密ゆえ、これ以上は卿といえども教えられん。早く昇進しろよ、オスカー。いつか卿と膝を交えて戦略を練ってみたいものだ」

「私もそのような機会が早く訪れないかと、この度の子爵の件では悔しい思いをしました。宇宙に出れば艦長は自分の艦の王となれますが、帰還すれば上官のただの手足にすぎません」

「だが、この手足は身体より立派かもしれんな。さて、ではオスカーよ、叔母上がぜひ直接お話ししたいとおっしゃっておいでだ。夫人にはアンシュッツがいるが、それでもつらいことには変わりない。よく慰めて差し上げろ」

オスカーは黙って頷いた。中将は彼が落ち着いているようなので、これなら安心かとほっとした。だが、息子がその父の死に何の感情も涌かないなどと、本来はあってはならないことだけに、安心することが罪深いような気がした。

中将は立ち上がって扉の外を指さした。

「私専用の超高速通信の通信室を使え。副官に案内させる」

中将は副官を呼ぶためインターフォンを操作しようと机に向かっていたが、ソファにどさっとものが倒れる音を聞いて振り返った。

オスカーがソファから立ち上がろうとして立てず、ソファの肘掛けに手をついて前かがみになっていた。

中将は若者のもとに飛んでいくと、その身体を抱きしめた。

中将と対面している時はなんでもなかったその顔色は今では真っ青になり、その目は呆然としてうるんでいるように見えた。

「オスカー、おまえ…! 私の前で何を取り繕う必要がある! つらいのなら我慢するな」

中将は子供にするように腕の中の若者を揺さぶった。オスカーは震える手で彼が恩人と目する人の軍服の背中をつかんでいたが、やがて離した。

「大丈夫です。失礼しました」

「大丈夫なわけがあるか…! よいか、オスカー、今日は一人になってはいかん。私の屋敷に来い」

「いえ、まさか、そのようなご迷惑はかけられません」

中将はその小さいがしっかりした声音が気に入らなかった。若者は一瞬、その防御の壁にひびを入れたが、すぐに修復してしまったのだ。

「このような時に遠慮をするやつがあるか。私では気に入らんというなら、ゾフィーだろうがなんだろうが、女と一緒でもかまわん。絶対に一人になってはいかん」

「ミッターマイヤーがいます」

中将は実際、その名を聞いてほっとした。少なくともこの若者には頼れる相手が一人だけいるのだ。中将は先日ミッターマイヤーと直接話し、好感を持った。彼が心をかける若者と全く異なる性質のミッターマイヤーは、確かにこのような時に信頼するに足る人物に思われた。

「よし、必ずミッターマイヤーと一緒にいろよ。今呼ばせよう」

「いえ、官舎が隣同士ですから、結構です。それより叔母と話します」

「そうだった、すぐ案内させよう」

ロイエンタールが思った以上にしっかりした足取りで部屋を出ると、中将はそのままソファに座り込んだ。

―やつは死んでしまった。息子に父親と対決する機会も与えずに。あの親子は本当に面と向かってまともに話したことなどあるのだろうか。父親から与えられるのは罵声のみ、息子はそれに反抗することもできない。

生きていればこそ、いくつになっても、不可能なことも可能に出来ると思っていた。だが、もう、彼ら親子がその仲を修復する機会は二度と訪れない。しかし反対に、生きている間、その機会が皆無だったはずがないのだ。

―私はあの時、オスカーのためにやつを殴った気でいた。そして、長い間、あれは私がしたことの中でも最上の良きことだと思っていた。だが、そうではなかったかもしれん。私が介入したことで、オスカーは自分で父親を殴る機会を失った。しかし、あの屋敷であのような父親と子供を一瞬でも一緒にさせるようなむごいことが許されてよかったのか? だが、私は二人がもっと頻繁に会うように心を砕くべきだったかもしれん…

A(アー)の道を選ぶか、B(べー)の道を進むか、進むことが出来る道は一つしかなく、どちらを選べば正解か、誰にもわからない。おそらく、5年、10年後のオスカー・フォン・ロイエンタールを見れば、それは明らかになるかもしれない。だが、現在と過去しか見ることのできない中将としては、自分がかの若者のために選んだ道が正しかったのかどうか、何の確信も持てず、正解があるのかすらわからないのだった。

 

金髪の美丈夫の副官がきびきびと超高速通信室へ案内し、ロイエンタールは叔母夫婦と対面した。すぐに通信できるよう、彼を待っていたようだった。

「お、お、オスカー、ごめんなさいね…、わ、私たち何もできなかった。あなたのお父様はもうすっかり身体を壊してしまって、ほんの少しのきっかけで…、お医者様からは注意を受けていたの。それなのに…」

「叔母上はよく父に尽くしてくださいました。あなたは悪くありません。あの人はもう10年以上、アルコールにやられて今にも危ない、という状態だったではありませんか。よく今まで持ったものだと思います」

コルネリア叔母はぐっしょり濡れて役立たずになったハンカチから顔を上げた。

「それはもちろん、あなたが成長するのを待っていたからですよ。オスカー」

オスカーは鼻で笑った。

「そんな父親らしいことを趣味にしていたとは気づきませんでした」

コルネリアはわっと泣きだした。アンシュッツが妻の肩を抱いて、新しいハンカチを渡してやる。彼は気の毒だという感情と、腹立たしさの両方を上手く処理できず、オスカーを睨みつけた。

「どんな仲であったとしても、父親に対して皮肉など二度というな。少なくともおまえの叔母上の前では言うのを許さん」

「…失礼しました」

彼としても叔母を泣かせるのは本意ではない。叔母は実の兄と間近におり、その最後を看取って誰よりもつらいに違いなかった。これでロイエンタール家には叔母と彼しかいなくなった。叔母には子供がない。そしておそらく、彼の跡には誰も残らなくなるだろう。

「で、でもお兄様に厳しい感情を持ったとしても、しかたないわ。だって、だ、だれにも本当はどう思っているか、わ、分からせようとはしなかった。だれにも何も話さず、ひ、一人で全部抱え込んで、い、い、逝ってしまった」

叔母が涙の中にも無理に話し続けようとするのを、オスカーはやめさせたかった。彼は父のためにではなく、叔母のために涙が自分の頬を流れるのが分かった。

「叔母上、もう、いいのです。おかしなことを言って申し訳ありませんでした。じきに、許可が降りたらオーディンに伺いますから、それで…」

叔母はきっとなって、ハンカチから顔を上げた。

「いいえ、聞いてちょうだい、オスカー。私とアンシュッツはお兄様の端末を整理していました。仕事用にいくつもお持ちで、中には重要な機密が詰まっていますからね。すべて確認する必要がありました」

そこまで一気に言うと、顔を覆って喘ぎ、聞き取りづらい嗚咽の間に言った。

「よく使っていた端末に、なんの認証もなくすぐ見れるフォルダに、あ、あ、あなたの軍の記録や、写真がたくさん入っていました。あなたが従卒をやっていたころの写真や、一番最近の官報の記事まで…!」

オスカーは何を聞いたかよくわからなかった。とうとうくず折れた叔母を支えて、アンシュッツが続けた。

「小さいころの写真などは数枚しかなかった。どれもコルネリアが撮って義兄上に渡したものだ。私もコルネリアも義兄上はそれを捨てたか、どこかへしまいこんでしまったに違いないと思っていた。だが、ログを見て、義兄上がそれをよく見返していたことが分かった。どの記事も写真も、しまったきりではなく、常に見返していたことが、残っていたログで分かった」

アンシュッツの目にも涙が流れた。

「なんてばかな、可哀そうなお兄様…!!」

叔母が涙の間からうめくように言った。だがその時、バン! とオスカーが平手で操作盤を叩きつけた音が室内に響いた。

「あの男はおれに『死んでしまえ』と言い続けた! 気に入らないことがあると、いつも手を挙げた! なにが可哀そうだ!! 今更そんな写真が何だっていうんだ!」

「オスカー!!」

オスカーは勢いよく立ちあがって、通信モニタを殴りつけ、座っていた椅子を蹴って、部屋の壁にぶつけた。

「おまえなんか生まれなければよかったというのが、あいつのお気に入りの台詞だ! おれは絶対に、絶対にあいつを許さない! あいつが生きている間に殴ってやる勇気がどうしても持てなかった! 今から行って、あいつの屍を踏みつけてバラバラにして道端に捨ててやる!! あいつはろくでなしだ! おれは絶対に許さない!!」

彼は再度操作盤を殴りつけ、振り返って握ったこぶしで通信室の壁を叩いた。

「何が写真だ、おれは生きてここにいるのに、写真なんか見てただと!? なんでおれに何も言わせなかった! あいつがおれを見るといつも何も言えなくなった! また死んでしまえと言われるのが怖くて、ああ、もういやだ!! いいかげんにしてくれ!!」

アンシュッツとコルネリアは呆然と自分たちの嘆きも忘れて、甥の様子をモニタ越しに眺めた。二人は甥のいつも落ち着いて冷静な様子が仮面にすぎなかったことを悟った。

だが、その時、扉の外からドアを叩く音がした。ドアには鍵が掛かっている。外にいる通信士官が心配してドアを叩いているに違いなかった。

夫妻は甥が鉄の意志で激情を納めようとしているのを見た。涙が流れる目を固くつむって、深呼吸をして、震える手で顔を押さえ、乱れた髪を撫でつけた。甥がモニタに振り向いたとき、夫妻は同時に背筋に震えが走り、互いの手を握り合った。

オスカーは笑っていた。

「叔母上、叔父上、もう二度と、あの男のことについて私には話さないでください。幸い、もう死んでしまったのだから、新たな話題もないでしょう。私があいつについて何か叔母上を心配させるようなことを言う恐れもなくなりました。オーディンにはいずれ戻ります。私は軍で出世するつもりですから、早晩そうなります。その時にはぜひお会いしましょう」

彼はアンシュッツと叔母に交互に、真っ赤にはれて涙で濁った色違いの目を向けた。

「ですが、どうかその時、あの男の墓に行くように勧めないでください。きっと墓石を粉々にして、先祖代々の墓所を汚してしまうことでしょうから」

 

 

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