
希望と栄光の国 ~4
その夜、帝国士官学校にある、取り壊し予定のルドルフ大帝顕彰音楽堂の工事現場に一つの人影が現れた。そっと扉を開き、堂内に入っていく。
堂内に入った人物は月明かりだけを頼りに、手さぐりでそろそろと歩いて行った。そのままルドルフ大帝の彫像のあった台座まで進むと、その当たりで何かをしだした。
堂内の暗闇にはそれを見守る目があった。
―本当に来た
―しっ、聞こえる
台座の前にいる人物は「くそっ、間違ったか?」と呟きながら何かをしている。涼しい夜であるのに額にかいた汗をぬぐい、再び何かをしようとした、その時―。
堂内のすべての照明にパッと明かりがともった。
アスマン校長がぎょっとして台座の前から振り返った。
「こんばんは、アスマン少将。こちらで何をなさっているか、お教え願えますかな」
メックリンガーが静かにアスマンに近付き声をかけた。アスマンは慌てて周囲を見渡す。
「なるほど、台座に操作盤がある。ここにパスワードを入れると何が出てくるのかな」
台座についている寄贈者の名前が彫られたパネルを取り外すと、その裏に操作盤があったのだ。ミッターマイヤーがアスマンに近付いてその操作盤を覗き込む。いつの間にそこまで近づいたのか、さすが疾風ウォルフだ。
「何回まで間違えられるかな、ロイエンタール」
「さあな、もう1回くらいは大丈夫ではないか? ちょっと待て、彼はおそらくG4、3、A2、2と入れて拒否されたのだろう。アルファベットも追加して入力してみろ」
「なるほど」
ミッターマイヤーはレクラムの文字列を書いた紙を懐から取り出し、ロイエンタールの言葉通りに、シャープ記号が付いた音名を注意深く入力した。
G4G3A2D2
ピッと軽い電子音がして、操作盤が光った。ミッターマイヤーがギョッとしたことに、台座そのものが音を立て、奥に向かって口を開いた。そこに地下室らしきものが現れた。
メックリンガーが端末でどこかに連絡をする。
「みな、入ってこい。アスマンを拘束し、堂内をくまなく捜索しろ」
そう言うと、逃げ場を求めて視線をさまよわせるアスマンに厳しい視線を投げかけた。
「さて、アスマン少将。卿にはいろいろ説明していただく必要がありそうですな。特に我が恩師、レクラム師の運命について」
「な、なにをおっしゃっているやら、メックリンガー提督は…」
だが、アスマンは相手を組みしやすしと見たか、低い姿勢になってメックリンガーに突進した。
ミッターマイヤーはハッとして前に飛び出そうとしたが、メックリンガーもさる者、訓練不足の中年に後れを取るようなことはなかった。突進してきたアスマンの首筋をつかんで急所にひざ蹴りを喰らわせ、床にはいつくばらせた。アスマンの片手が伸びたが、その上に重い軍靴を踏み下ろす。アスマンの手からブラスターがこぼれ落ちた。
「やれやれ、乱暴なまねをさせられてしまった」
メックリンガーの活劇をよそに、堂内は捜索する兵士が立てる喧噪で満ちた。
台座の中の地下室から兵士数人を引き連れたミッターマイヤーが、頭についた蜘蛛の巣を払いつつ、納得いかないといった表情で出てきた。
「なにもなかった」
アスマンがわめきたてた。
「そんなはずはない! あいつが隠したものがあそこにあるはずだ!!」
その一言で、アスマンがレクラムの運命について良く知っていることが暴露された。メックリンガーが軍靴でアスマンの手をにじりながら聞く。
「ほう、どんなものが隠してあったはずだというのだね」
「し、知らん、何も言わんぞ!」
「もちろん、横領の証拠となるものだろう。おそらく、それを見るとアスマンが加担したことが分かるのではないか」
椅子に座ったロイエンタールが答える。ミッターマイヤーが軍服から埃やら蜘蛛の巣やらを払いながら、親友を睨みつける。
「おまえ、なんで何もしないで悠々とそんなところに座ってるんだよ」
そこには傷だらけの大きなテーブルがあり、かつて食堂として使われていたらしい名残が見られた。
「いや、ここからだと、ルドルフの彫像が良く見えると思って。ここに座って食事をしていた人物は、あの台座の足もとに死体が眠っていることに気づいていたのかな」
這いつくばったアスマンがギョッとしてロイエンタールを見た。
「それとも、反対側、ルドルフの足もとに椅子を置いて座っていたかな。まさしくレクラム師の亡き骸の上ということだが」
親友が指摘した可能性に思い当たり、ミッターマイヤーは床につばを吐いた。
「いずれにせよ、罪が露見せぬよう見張ることが出来たわけだ。反吐が出るな、こんなところで食事をするとは」
腕組みをしたロイエンタールは椅子に座ったままミッターマイヤーに顎をしゃくる。
「それ、手に持っているのは何だ?」
ミッターマイヤーは手に持ったものを見た。
「地下室には何もなかったんだ。つまり、この本以外は」
ロイエンタールは立ち上がってミッターマイヤーに近付き、親友から本を受け取った。
その本は布張りで、もとは綺麗な装丁だっただろうと思わせるものだった。だが今は、埃をかぶり湿気で膨れ、ところどころカビが生えて汚れている。
ロイエンタールは金字で記された本の題名を読んだ。
―地球史 第10巻 大英帝国の野望~希望と栄光の国~
中にはかつて地球の一地方を治めた国の歴史が書かれていた。
「歴史の本だ」
「そんな馬鹿な、あいつは…、あいつは…」
アスマンが呟く。その時、外にざわめきが聞こえ、寝巻姿の教官達や学生たちの姿が明かりの中で見えた。教官達の中にはナイトガウンを羽織った、プラッテの姿も見えた。彼はロイエンタールが手に持った本をじっと見ているようであった。
学生たちの騒ぎが大きくなった。
「双璧だ!」
「なんで、なにがあったの?」
「校長?」
ロイエンタールは「急いだ方がいいな」と呟く。そして、ルドルフ大帝の彫像の後ろに行くと、何かを探しだした。
ミッターマイヤーが親友のそばへ寄る。
「なにを探している?」
「このあたりにバイオリンのレリーフがなかったか?」
台座が陰になっているせいか、よく見えなかったが、ミッターマイヤーが「あったぞ」と言って、親友を呼ぶ。
ロイエンタールは兵士の一人からライトを受け取ると、そのレリーフに光を当てた。バイオリンそっくりのレリーフにはS字孔もあり、ロイエンタールはそこに光を当てて中を覗き込んだ。
「見えないな」
彼はおもむろにライトの尻をレリーフにぶつけた。
ミッターマイヤーが見る間に、親友の力強い手の下でバイオリンのレリーフが欠け、最後に崩れ落ちた。崩れ落ちたレリーフのかけらと共に、何か輝くものが床に落ちた。
ライトの光を当てると、白い宝石をちりばめた大きなメダルだった。
「あっ、それ、それは…!!」
アスマンがメックリンガーの手を逃れ、メダルに駆け寄ろうとした。
だが、そこにプラッテが現れ、この老人がまさかと思うような力でアスマンを殴り倒した。
「この…! 人殺しめ! 貴様がレクラムを殺したのだな!!」
ロイエンタールが割って入るまで、老人は復讐の手を止めようとしなかった。
アスマンは憲兵に連れて行かれ、騒然とした校内は秩序を保とうと努力する教官達の力でいったんは収まった。もっともそれには双璧の権威が大いにものを言ったが。
提督たち3人はプラッテの私室に集まった。老人が彼らについてくるように言ったのだ。外には憲兵隊長が念のため控えていた。老人が何かを知っていることは明らかだった。
ミッターマイヤーは暗い表情をしてプラッテを見やり、まさか先生が悪事に加担したのではないと思うが…、と心の中でつぶやいた。
ロイエンタールが口を開く。
「ミッターマイヤー、その本は何かおかしいと思わないか」
「何か? すごく汚いってこと以外は…」
「そう、もとは綺麗な装丁の本だっただろう。こういう本は普通、カバーが付いているだろう」
「あ、ああ、そうだな」
親友がなぜそのようなことを言うか分からず、ミッターマイヤーは相手の色違いの眼を見つめた。その目は老人の方に向けられた。
「先生がこれのカバーをお持ちなのではないでしょうか」
プラッテはじっとロイエンタールを見ていたが、おもむろに書棚の一番上の段を指さした。
「ミッターマイヤー、卿でもあれに手が届くだろう。取ってくれるか」
「取ってくれとはどれ…」
近付いて分かった。そこには『地球史 第10巻 大英帝国の野望~希望と栄光の国~』という書名の本があった。
ミッターマイヤーは背伸びをしてその本を棚から取り出す。カバーは函になっており、その中には函の書名とは違う本が入っていた。ミッターマイヤーがその本を取り出し、中を見ると小型のデータチップが転がり出た。
老人は苦々しげに、ミッターマイヤーの手の中のものを見つつ言った。
「おそらくそこにレクラムが殺され、アスマンが殺した理由が隠されているのだろう」
「先生はいつから気付いていたのですか」
ロイエンタールの問いにプラッテは首を振った。
「なにも分かっていなかった。レクラムの死体が現れるまでは。いや、卿らがアスマンを這いつくばらせているところを見るまで、本当に何も理解していなかった」
老人の眼に涙がたまり、しわだらけの頬を伝った。
「彼はあの頃の私の唯一の友であったのに、その復讐の機会を逃してしまった…! それどころか、アスマンの糾弾が正しいものだと信じてしまった…!」
あの白い宝石をちりばめたメダルは、さる貴族が賞金付きの言論大会を主催した時に提供した賞品だったという。学生の身分には過ぎるメダルだが、大貴族の子弟が参加することになっていたから、彼が優勝することが決まっていた出来レースだったのだろう。ところが、メダルは開催日前に紛失した。
「後から考えれば馬鹿げた話だが、それがレクラムの私室から現れた。レクラムは糾弾された。しかも寄付金を横領していた事実が判明したとのおまけまでついた」
そしてある日、レクラムはメダルと共に行方をくらませた。その数日前にプラッテの前に現れたレクラムは理解を求めたが、老人は関わり合いになるのを避けた…。
彼が帰ったあとで、プラッテの本棚の一番上の棚に見覚えのない本が残されていることに気付いた。プラッテは本を取り出し、中からデータチップが転がり出たのを見たが、それにはレクラムのこの件に対する恨みつらみが書かれているに違いないと思いこみ、そのまま本棚に戻した。
「まったく、捨てたりなんぞせんでよかった。危うく捨てるところだったが、私の守護天使がその手を止めたのだろう。彼の失踪を聞いてからは、これが彼の遺品のような気がして、二度と手に取る気になれなかった」
メックリンガーが老人を気の毒そうに見た。彼は老人とレクラムがよく一緒に食事をしたり、話しこんでいる姿を見ていた。レクラムへの親近感から、プラッテ師に対しても、彼は学生の頃親しみを感じていたのだ。
「それにしてもレクラム師がこれほどの策略家だとは思いもしませんでした」
「メックリンガー、卿は知らなかったのかね。彼もかつては参謀を目指していたのだよ」
驚きに目を見張るメックリンガーに持ち前のいたずらな気性を見せて、プラッテは笑った。
「なにがあったかわからんが、彼が少しもらした言葉から察するに、貴族どもにうんざりさせられたというところだろう。それで参謀への野望は捨てて音楽教師の道に進んだ。音楽とはもともと数学理論を発展させたものだったからな。彼にとって音楽と策略は大した違いはなかったのかもしれんな」
ミッターマイヤーがあくびをしながら親友を見た。
「それにしてもよく、あのレリーフにメダルが隠されているなんて気付いたな」
「隠されているのがメダルとは知らなかったがな。ルドルフの台座に何もなかったら、あそこに隠すという方法もあるなと思ったら、そうだった」
「なんでバイオリンだったんだ」
親友の言葉に、ロイエンタールは視線を動かしてメックリンガーを見た。
「あの文字列がバイオリンの指使いを示したものだったから。これは卿がいなかったら分からなかったな。レクラムはこれでアスマンをからかったつもりだったかもしれんな」
メックリンガーはその言葉に寂しげに笑った。
「しかし、それを理解するにはアスマンには荷が重すぎたようだな。卿らが暗示するまでは何も気付いていなかったようだ」