
希望と栄光の国 ~2
ある日、双璧が昼食から戻るとエルネスト・メックリンガー大将の副官、ザイフェルトが二人の前に現れた。彼は敬礼して二人に告げた。
「お戻りのところお引き留めしまして申し訳ございません。我らが上官がお二人にしばしお時間を頂戴したいと申しておりまして、よろしければおいでいただきたいと存じます」
双璧は顔を見合わせた。メックリンガーがこのように彼ら二人を呼び出すなど、珍しいことだ。
「統帥本部の任務に何か不都合でもあるのか?」
メックリンガーは統帥本部次長の任にある。ミッターマイヤーの質問に副官が答えた。
「小官が拝察しますところ、軍務とは関係のないことのようです」
ますます不思議に思い、彼らはひとまずメックリンガーに話を聞こうと副官に同道した。
メックリンガーの執務室に二人が入ると、彼はすぐに来客の前から立って二人を出迎えた。
「やあやあ、お呼び立てして申し訳ない。お二人にご足労いただくのは失礼極まりない次第だが、ちと外聞を憚ることであったゆえ…」
メックリンガーが来客の方に振り向くと、その人物は立ち上がって二人に敬礼した。
「先日はわが校にせっかくお運びいただきましたのに、とんだ騒ぎで御不快のことと存じます。しかも、またこのようにお邪魔いたしまして…」
士官学校校長のアスマン少将だ。メックリンガーは来客たちにソファに座るように勧め、説明する。
「卿らが士官学校を訪問した際、身元不明の白骨死体が発見されたそうだね。その説明を今、アスマン校長から受けた。それによると、その死体は学校のかつての音楽教師、レクラム教官だった。実はその方に私は在学中お世話になってね…。そのことを思い出して校長がこうして私に知らせに来てくださった」
「なんと、そうだったのか。それではロイエンタールが言った通り、軍服を着ていなかったとしても不思議ではないか」
「レクラム教官はいちおう少尉の地位にあったのだが、軍服は日ごろから着ていなかったな。私と同じ、仕方なく軍人になった口でね」
メックリンガーは士官学校校長が対応に困るようなことをその面前で言った。芸術の道は金がかかる。彼の家は息子が音楽の道を進むための学資を用意することが出来なかった。自分には絵筆があることに心を慰めつつ士官学校に入学した若きメックリンガーは、校内にかなり立派な音楽設備があることを知り狂喜したのだった。
美術は自由時間に好きなように取り組むこととし、在学中、芸術分野は音楽クラスを選択した。放課後は毎日熱心にルドルフ大帝顕彰音楽堂に通った。彼が在学中は食堂ではなく音楽堂として正規の使われ方をしていたのだ。その音楽堂で彼を励まし、指導したのがレクラムだった。彼のお陰でメックリンガーはかなり自由に楽器に親しむことが出来た。
「お陰で卒業の年にはピアノの音楽コンクールで賞を取ることが出来たわけだが…」
「よく学業と両立できたな」
ミッターマイヤーは密かにメックリンガーの芸術的才能は帝国軍の七不思議のひとつだと思った。他の6つは何だか知らないが。
ミッターマイヤーに対してメックリンガーはにっこり笑うと話を続ける。
「…ところがだ。数年後に軍務で遠方に赴くことになり、あらためて在学中のお礼を申し上げようとレクラム教官を訪れてみると、彼は行方不明になっていた」
その年にちょうどアスマン少将は校長となり、メックリンガーの訪問に応対した。彼が在学中は副校長だったアスマンは、彼がレクラムと親しくしていたことも知っていたから、事情を話して慰めたものだ。
「実は当時はメックリンガー提督にはお話しできなかったのですが、レクラムには寄付金を横領したという疑いがかかっていました。その疑惑のせいで失踪したのではないか、と言われていたのです。当然、教育者としてそのようなことをまだお若い閣下に話すことはできませんでしたからな、お察しください」
メックリンガーは校長に手を振って話を続ける。
「だが、このように他殺死体となって現れたということは、レクラム師に対するその嫌疑も晴れるのではありませんかな」
「他殺? まあそうだな。あんなところに埋められるのは尋常じゃない」
ミッターマイヤーがびっくりしつつ言う。
「それでお二人に発見された時の様子を伺いたいと思ってね」
「そう言われても…。特に見るべきものはなかったと思うがなぁ。どうだ、ロイエンタール」
ロイエンタールは首を振った。
「特に乱暴された形跡は見当たらなかったな。布に包んであるだけで手足を折った、身体を丸めた状態で埋められていた。土を被せて、そのすぐ上に床材とタイルがあった。おそらく、殺されたのは冬だろう」
ミッターマイヤーは灰色の目を瞬いて親友の顔をまじまじと見た。
「いや、おまえ、よく見てるよ。なんで冬だと思うんだ?」
「防腐装置のある棺桶に入ってたわけじゃない。すぐに床材だったのだ。夏だとじきに死体が腐って臭うから、すぐ発見されただろう」
「埋めるにしても道具が必要だろうし。あの様子からすると、ずいぶん周到に準備して埋めたもののようだな」
「さあ、どうかな。そうかもしれんな」
ロイエンタールがさも興味がなさそうに肩をすくめる。メックリンガーが傍らのファイルから紙を何枚か取り出して、二人に示した。
「彼はこのような用紙を封筒に入れて持っていたようなのだが、気付いたかな」
1枚は死体が封筒を懐に入れている様子を映した写真だった。胸の前に合わせた両手で持っているように見えるが、そこに後から突っ込んだという感じだ。もう1枚はその封筒を開けたところ、最後の1枚はその封筒の中身だった。
「こりゃ、なにが書いてあるんだ?」
ミッターマイヤーが素っ頓狂な声を出して言った。そのくらい、意味不明の文字と数字の羅列だった。
D32342G4#32341
G23#4D140A2#21G4A1
D12#34G4D30G3210
校長が身を乗り出して聞く。
「メックリンガー提督なら、彼とお親しかったので、これが何かご存知かと思ったのですが…」
「いやはや、残念だが分からない。いったい何であろうな」
ロイエンタールが校長に問いかけた。
「なぜメックリンガーなら知っていると思ったのですか。この教官が失踪したのは彼が卒業してからの話でしょう」
「特に深い意味は…。レクラムは孤独な人間で教官の中にも特に親しい者はいませんでした。ですが、メックリンガー閣下に対しては特別に時間を割いて指導しておりましたからな。まあ、士官学校生の本分から言うと音楽にあれほど力を入れることは、ありうべからざることと思っておりましたが…」
ロイエンタールは文字の羅列をじっと見た。数字は0から4まで、アルファベットはD、G、Aの3つだけ。この#シャープの記号は何を意味するのだろう。横領の疑いがもたれた教師が持っているのでなければ、意味のない文字の羅列だと思う所だが…。
メックリンガーがじっと考え込む彼を見ているのに気付く。士官学校生ながら音楽に傾倒し、ついに音楽コンクールで賞を取ったメックリンガー。そのような学生をもってこの音楽教師はさぞ…。
音楽?
ロイエンタールは紙に目を近付けた。そんなことをしても答えが出てこないのは分かっている。だが、自分の発見に驚いて近づかずにいられなかった。
彼は指を折りながら、口の中でモゴモゴと何かをつぶやいた。
「どうした、ロイエンタール?」
ミッターマイヤーが不思議そうに聞くが、ロイエンタールは答えられなかった。
分かったのだ。
「A(ラ)~!」
いきなりロイエンタールは声を上げた。
メックリンガーがはっとして顔を上げ、ロイエンタールを見つめる。
ロイエンタールは歌いだした。
我ら帝国の息子たちよ
共に手をたずさえ戦わん!
栄えある我らに恐れなし!
銀河帝国士官学校校歌だ。3人はロイエンタールが狂ったかとでもいうように、彼をあっけにとられて見ている。ロイエンタールは紙を見つつ歌い続けた。彼の頭の中にはぼんやりと音階が刻まれつつあった。
我ら勇敢な息子たちよ
祖国(くに)のため共に行かん!
我らの前に敵はなし!
我らの前に敵はなし!
2番も歌うのか。ミッターマイヤーは呆然と親友を見る。あの紙はなにか士官学校校歌と関係あるのか? ロイエンタールは少し硬い歌い方で抒情豊かとはお世辞にも言えないが、音程は正確で朗々とした声で歌い続ける。メックリンガーもロイエンタールがじっと紙を見ていることに気付いた。
「あっ」
と言って、ソファから飛び上がり、執務机の横にあるクローゼットを開けた。クローゼットの中は大小さまざまな箱があったが、彼はそこから長さ1メートルほどの一つの箱を取り出した。メックリンガーがその留め金を外すと、赤いベルベットの内張りの箱の中にバイオリンが入っていた。
ロイエンタールもメックリンガーが取りだしたものに気付いた。歌うのを止めて、メックリンガーが調弦するのを見ている。
ミッターマイヤーがうんざりしたことに、バイオリンは銀河帝国士官学校校歌の伴奏を奏で出した。
ロイエンタールとメックリンガーが共に声を合わせて校歌を1番から歌い出す。執務室の扉がそっと開いて、そこからメックリンガーの副官が顔をのぞかせた。歌声の主が一人はロイエンタールなのを見ると、あんぐりと口を開けた。その後ろから、メックリンガーの幕僚も顔を見せた。おそらく彼らは上官の音楽的衝動には慣れているだろうが、ロイエンタールが歌うとは思いもよらなかっただろう。
ロイエンタールとメックリンガーは目を合わせて歌い続ける。二人がやけに楽しそうに見えたミッターマイヤーはやけくそになって共に歌いだした。
希望(のぞみ)と栄光(ひかり)の我が国よ
汝(な)に刃向うものなし!
その子もまさに勇者なり!
ミッターマイヤーは歌いだしてすぐにいい気分になった。なにしろこの歌は普通の軍歌としても非常に人気が高いのだ。一般の大学でも卒業式などで演奏されるという。勇壮かつ壮大なメロディは誰でもすぐに覚えてしまうし、思い入れたっぷりに歌うことが出来る。
4番に差し掛かった。フィナーレだ。ミッターマイヤーは思いっきり声を張り上げて歌った。バイオリンが力強さを増した。
我ら帝国の息子たちよ
共に手をたずさえ戦わん!
栄えある我らに恐れなし!
栄えある我らに恐れなし!