
Season of Mackerel Sky
アイスストーリーズ 3
アディ
(路地を抜けた奥の広場にある古い回転木馬。薄暗い街灯の下でも剥げてはいるが、色鮮やかなペンキの色が見える。薄い色をした髪の男が現れ料金箱にコインを入れると、イルミネーションが輝き始め、男は青い色をした木馬に跨る。くぐもった音楽と共に回転木馬が動き出す)
「さあ、早く乗って、木馬が止まってしまう前に」
(回転木馬の明かりが広場の隅まで届き、石段に腰掛けるオスカーが現れる)
「いい。ここで卿がこの馬鹿々々しい乗り物に乗って悦に入っているところを眺めさせてもらう」
(回転木馬が一回転している間黙っていた男が戻って来て、男は再び声を掛ける)
「そんな暗いところにいるより、一緒に乗ったほうが面白いですよ」
「だいたい、こんなものは子供の乗り物ではないのか」
「子供時代をやり直しているんです。あなたも一緒にやり直しましょう」
「そんな必要を感じない」
(さらに一回転した木馬が戻って来ると、男が声を掛けながら手を差し伸べる)
「駄々をこねないで。これは12時までしか動かないんです。ほら、時計の針が進む。1、2、3…」
「馬鹿々々しい。おれは帰るぞ」
「いい子で乗らないと後で冷たくて美味しいフラッペを買ってあげませんよ」
(男が乗る木馬が去る。オスカーは呆れて立ち上がる)
「フラッペだと? いい加減にしろ、ファーレンハイト。やり直したければやり直すがいい。おれがいないところで存分にな。おれにはやり直すべき過去などない」
「ほんとうに? こんな木馬など何度も乗って飽き飽きしていると?」
(オスカーが絶句している間にファーレンハイトが乗る木馬は回転していく)
「乗ったか乗らないかなど、関係ない!」
(去っていくファーレンハイトの背にオスカーが投げつけるように叫ぶ)
「卿のように過去に復讐するように何かをする必要など、おれにはない!」
(木馬が戻って来ると、思いつめたような表情のファーレンハイトが明かりの中に現れる)
「私が過去に復讐していると? 確かにそうかもしれない。あの頃出来なかったことができるのはとても愉快ですね。そうだとしても、一人でやったところでつまらない。その経験をあなたと分かち合えることにこそ、私は喜びを感じているんです」
(今度はオスカーが黙り込んでファーレンハイトが通り過ぎるのをじっと見つめる。再び戻って来たファーレンハイトにオスカーが言う)
「そんなことは卿一人でやってくれ。卿の過去などおれには関係ないことだ」
「ですが、あなたにも子供時代があったでしょう?」
「あったさ。だがそれは卿のものとは全く別ものだ。ご明察通りおれは木馬などに乗ったことはない。だが、そんなことはどうでもいいことだ」
「どうでもいいかどうか、やったこともないのに分かるはずがない。やってみればいい」
「なんだと」
(音楽のテンポがゆっくりとなり、回転木馬のスピードが落ちやがてファーレンハイトが乗る木馬がオスカーの目の前で止まる。居心地の悪い沈黙が降りる)
「こんな夏の夜に移動遊園地がやって来ると、いくつもの屋台の中にはフラッペの店が出ていませんでしたか? あのどぎつい色をしたシロップをかけて、真っ白い氷の山を少しずつ崩すんです」
(小さく吐息をついたファーレンハイトが木馬に乗ったまま、静かに言う)
「ある夜、これまでと違った店が出ましてね。その店ではふんわりした氷の中に小さいものですが、甘い砂糖漬けの果物が入っているんです。クラスメイトはこぞってそれを買いに走りましたよ」
「…珍しいものだな。見たことがない」
「そうですね。私もあれ以来見たことがない。結局私は食べることができなかった」
(回転木馬のイルミネーションが消え、街灯のみになった広場の薄暗い明かりの下で、ファーレンハイトがささやく)
「…復讐ではないんです。ただ、私はずっとあの宝石のようなものを探し続けているような気がする。単に子供の頃経験することができなかったものそのものと言うより、それよりもっと素晴らしいものがあるんじゃないか、という渇望の想いを捨てられずにいる」
(木馬から降りたファーレンハイトがゆっくりとオスカーに近づく)
「十分に与えられなかった子供は何かを得ることに貪欲になるのかもしれませんね」
「…卿は今何に飢えている?」
(前に立ったファーレンハイトが街灯の明かりを遮り、オスカーの姿は暗闇の中に隠れる。姿の見えなくなったオスカーの声が広場に低く響く)
「…さあ。でも、あなたの声を聞いていると喉が渇くようだ。焦燥感がこみあげてくる」
「喉が渇くのならば、この近くにうまいウィスキーを置いている店がある。行くか」
(ファーレンハイトは苦笑してオスカーから離れる。離れて行くファーレンハイトにつられるように街灯の明かりの下にオスカーが立ち上がる)
「それより、先日私が見つけた店に行きませんか。どうも聞いた話では昔、食べ損ねたあのフルーツ入りのフラッペらしきものを置いているようなんです」
「それは酒ではないだろう」
「我々はもう子供ではありませんから、アルコールを置いていない店にはふさわしくない。その店にはアルコールもあるからアルコール入りのフラッペもあるかもしれない」
「それを酒と言っていいのかどうか」
「試しに行ってみましょう」
(オスカーは首をかしげて、小さく笑う)
「結局卿の思い通りか」
「なんです?」
「いいや。では、卿の思い出のフラッペとやらを試しに行こう」