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​アイスストーリーズ  2

ウォルフ


能力のすべてを出し切って得ることができた心躍る勝利と、惜しくも失った部下の兵たちの数々―。物思いにふける二人の若者がイゼルローン要塞の繁華街へ向かう通りを歩いていた。隣を歩く戦友とはこの戦いの前に会ったばかりだというのに、戦いの高揚感と失ったものを思う虚無感という相反する感情を彼も味わっているにちがいないとオスカーには分かった。
やがてウォルフが大きくため息をついて言った。
「置き物みたいに黙りこくってすまん。卿には分かってもらえると思うが、こうも戦いづらい状況で勝ち、無事帰って来ることができたのは良かったが、あまりに損害が大きすぎた」
「そうだな。だが卿はよくやった。他の部隊に比べればその損害も微々たるものだ」
「それは卿の部隊もだろう。おれがなんとか大きな損害を出さずに済んだとすればそれは卿のお陰だ」
「いや、それこそおれの部隊が無事生還できたのは卿のお陰だ」
「なにを言うか、より一層卿のお陰を被っているのはこちらの方だ」
苦笑してオスカーは首を振ったが、二人が帰還以来互いにもう何度も同じことを称え合っていることに気づいた。ウォルフもまた、オスカーの表情を見て苦笑した。
「おれたち、もう何度も同じことを繰り返し言ってるな。くどくど感謝の言葉を述べたりしてあまり卿を困らせてもいかんな。つまりは要塞で最も優秀な士官二人がお互いを助けあって勝利を得ることができたということだ」
柄にもなく自惚れたような言葉を吐いたことに照れたように歯を見せて笑うと、リズムよくオスカーの肩を力強く叩きさっと手を差し出した。オスカーも小さく微笑んでその手を取り二人は固い握手を交わした。
ウォルフの手は皮膚が固く弾力があって肉厚だった。オスカーの手は華奢で細い骨格だがその背に見合った大きさを持つ。一方ウォルフは小柄であるにもかかわらず、その手のひらは大きくオスカーの手をすっぽり包み込んでしまいそうだった。
イゼルローンの人工の陽光の下であってもその瞳が温かみのあるグレーであることは分かった。オスカーが力強く手を握るとウォルフもぐっと握って返したので、手のひらを通してその心情の熱さを感じられそうだった。
どのくらいそうしていたのか、混雑した通りの真ん中に突っ立って通行の妨げになっていることに二人は同時に気づいた。
照れ臭そうに笑いながら同時に手を離し、肩を並べて通りを再び歩きだした。二人とも意識して過ぎた戦闘のことを話題にすることは避け、どんな店が好みか、酒は何がいいか料理は、などと話しながら歩いた。
店内の程よい賑わいが外からもうかがえる、ログハウス風の店が現れた。その外見と今日のお勧めの描かれた黒板に誘われて二人は頷き合ってその店に入った。ブルストの盛り合わせを間に、黒ビールを掲げて乾杯した。こんな賑わいの中で知り合ったばかりの相手と親しく飲んでいることに戸惑いを感じながらあれこれ取り留めもないことを話した。話す内容はことごとく互いに知らないことばかりで、物事に対する対処の仕方は違っても、そのことに対する感じ方は二人ともよく似ていた。
「へえ、そんなことが? 卿はよく我慢したな。おれならきっと反抗するだろう」
「おれも心の中では一緒さ。言ってやりたかったがこの場合、目にもの見せてやる方がいいと気づいた」
「確かにな。そう言われてみれば、おれも同じようなことが―」
時々互いの顔をじっと見つめながら、こんなに会話が弾むのは店内の雰囲気のせいか、それともウォルフと自分の波長があまりに合うせいかといぶかった。
店の奥にスヌーカーやカードゲームが楽しめる部屋があることに気づいた二人は、軽い食事を済ませてからそこに行ってみた。壁際にはフリードリンクのサーバーやつまみなどが置いてあり、ゲームをしながら、あるいはひやかしながらドリンクも楽しめるようだった。
スヌーカーのテーブルは塞がっており、空いたら対戦しようと場所を予約すると、待つ間にフリードリンクを飲みながら観戦することにした。
ドリンクにはいくつかの種類があり、どれでも好きなだけ自分の飲みたいドリンクを自分でサーバーから注ぐことが出来る。家を出て以来、「自分でやる」ことがどれだけ増えたことか、オスカーは数えたことなどない。しかし戦場以外の場所で、飲食店であるのに誰かに給仕してもらわないという状況は初めてだった。割れない軽量カップを手に持ち、サーバーの前で「美味しい飲み物の入れ方」の説明書きを読んでいると、「こうやるんだよ」、とウォルフが隣のサーバーでやって見せた。サーバーにカップを置き、欲しい飲み物のボタンを押すと、勢いよく飲み物がウォルフのカップに注がれた。カップの中身を一口飲んで、ウォルフが笑いかける。オスカーは頷いて慎重にカップの中に飲み物を注いだ。やってみれば簡単で、ボタンを離すと同時に注がれていた飲み物の供給は止まった。
二人して顔を見合わせてにやりと笑うとカップを片手にスヌーカーのテーブルを観戦した。カップは大きなものではないのでじきに二人とも中身を飲み干してしまい、再びドリンクのサーバーの前に立った。
「あ、面白いものがある。ロイエンタール、これ食べよう」
ウォルフはいそいそと別のサーバーに近づいた。そのサーバーにはボタンではなく銀色のレバーがついており、サーバーの前面には白いクリームが渦巻き状に盛られた様子がイラストで描かれていた。
「これ子供の頃にレストランによく置いてあったよな。懐かしい」
同意を求めるようにウォルフが視線を投げかけた。オスカーは戸惑いのあまり、さも知っているという風に表情を取り繕うのが一瞬遅れた。先ほどのドリンクのサーバーのような簡単な装置すら使ったことがないという自分に、ウォルフは驚きもせずにやり方を伝授してくれた。こちらに率直な笑顔を向けるウォルフに何かを偽ったり、取り繕ったりするのは不要だと、オスカーは思った。
「そうか。残念ながらおれが行ったことがあるレストランには置いていなかったようだ。このイラストから察するにクリームを食べるためのものなのか」
正直に言うとウォルフは驚いたようだったが呆れたり嘲ったりしなかった。明るく笑って、「ただのクリームじゃないよ、アイスクリームを出す機械なんだ」と説明した。
「アイスクリーム? ああ、なるほど渦巻き状に盛って食べるのか。こう…ドーム型になっているものはよく食べたが、なぜ渦巻き状に上に巻き上げるのか」
「うーん、何故かな…。多分おれが考えるにその方が見た目が面白いし、たくさん食べられるからかな。それにアイスクリームの性質が渦巻き状に巻きやすいんだと思う」
「性質?」
オスカーの知るアイスクリームはあの丸い形以外には作りにくそうに思えたが、渦巻き状の型に入れるのだろうか。ウォルフはうまく説明できないと思ったらしく、「うーん」と唸りながら頭を掻いていたが、手にドリンク用より小さいカップを持って、「やってみようか」と言った。
カップをサーバーに近づけ、レバーを引くと白い柔らかいアイスが抽出された。それはカップの底をめがけてゆるゆると伸びていった。ウォルフがゆっくりとカップを円を描くように動かすと、アイスがイラストと同じような渦巻き状に巻き上がって行った。
「なるほど、分かった。おれが思っているよりアイスが柔らかい。そのおかげで渦巻き状に形が作りやすいのだな」
ウォルフはにこりと笑うと、空のカップをオスカーに手渡した。
やってみた。
「思ったより難しいな。中心軸がずれた。卿のは綺麗な渦巻き状になっている」
「アイスが出てくる早さとカップを動かす早さを合わせればうまく渦巻き状になる。取り放題だから、まずこいつを食べてしまおう。食べたら卿のためにもう一個作ろうか」
ウォルフの指導によりアイスにチョコレートソースを垂らして小さなスプーンで食べた。かなり緩めの冷たいクリームは口につけた途端に溶けていき、二人のカップはすぐに空になった。
「よっしゃ、じゃあもう一個な」
「卿に任せた」
再びウォルフのカップに白くて柔らかな綺麗な渦巻きが巻き上げられた。先ほどよりさらに均一な渦巻きになっている。
「上手だな」
再びウォルフは笑って出来上がったアイスクリームをオスカーに渡すと、自分用にもう一個渦巻きを巻き上げ始めた。
「実はおれ、学生の時夏休みのバイトで移動遊園地のアイスクリーム売りをやったことがあるんだ。ちびっこ相手にひたすらアイスをくるくる作って、最終日には目をつむっててもコーンから落ちなかったくらいうまく作れるようになった」
「コーン?」
「アイスクリームを入れるための容器で、クッキーみたいな生地で円錐状の形をしていて食べることができるんだ」
オスカーがそう言った庶民的な事柄に通じていないと理解したらしく、ウォルフは詳しく説明した。
「うちのエヴァなんか毎日おれのアイスクリームを食べに来てくれたっけ…。おれがつくるアイスは形が綺麗だしうまいって言ってさ…。友達も連れてきてくれたけど、だいたい一人で来てたなあ…」
カップの中で渦巻きが中心を崩し、片方に倒れた。ウォルフはそれでも気にせずに倒れたところから渦を巻きあげたので、もはや渦巻きはただの山になりいびつでしかも量が多くなった。
ウォルフは肩をすくめてカップの上にチョコチップやシリアルを振りかけた。
「エヴァは今頃どうしているかなあ…。あ、エヴァって言うのはおれの実家にいる女の子でさ、いい子なんだ。あの子が今ここにいたら、たくさん綺麗なアイスクリームを作ってあげるんだけどな」
遠い目をして部屋の隅を見つめながらウォルフはアイスを口に運んだ。一心に何かを考えており、アイスクリームの味を味わっているようには見えなかった。
グレーの瞳の中で今、アイスクリームを片手に『エヴァ』と言う少女が微笑んでいるであろうことがオスカーには分かった。
オスカーの視線に気づいて白昼夢から覚めたウォルフが少し赤くなって言った。
「そいつを食べてしまえよ、ロイエンタール。溶けてしまう」
オスカーが答える前に背後から一人の士官がやって来て声を掛けた。
「卿ら、テーブルが空いたぞ。なんだ、帝国軍人がアイスクリームなんぞ食べて、小学生か」
「けっこううまいよ。卿も食べてみたらどうだ」
「卿が作ってくれるなら食べるよ」
その士官は明らかに先ほどのウォルフの言葉を聞いていたらしい。これは彼の仕事でもないのにアイスクリームの渦巻きを巻かせるなど無礼だと思ったが、オスカーが何か言う前にウォルフは笑って頷いた。
「作っても構わんが、代わりに黒ビールを2杯、注いできてくれるならな」
「明らかに高いだろう、それは」
「それだけの価値はある。だろ? ロイエンタール中尉」
同意を求めるように真面目な表情のウォルフが言ったので、戦友と同様に表情を崩さずオスカーは手の中のアイスクリームを一口食べた。それは甘すぎてミルクの味は薄く、すでにかなり溶けかけていた。
「確かにな。ミッターマイヤー中尉の作るアイスクリームはこの上なく価値がある」
士官は手を振って苦笑すると行ってしまった。ウォルフがグレーの瞳を大げさに天井に向けて肩をすくめた。オスカーはその様子に小さく噴き出した。
「軽々にアイスクリームを作れというなど、失礼極まるよな」
「アイスクリームの価値の何たるかを知らんのだろう」
「哀れな奴だ」
二人はすでに溶けてしまったアイスを流し込むようにして口の中にいれた。あまりの甘さに呻きつつ、笑いながらすべてすくい終わると空になったカップを捨て、スヌーカーの勝負を挑みに向かった。

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