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前奏曲

18、

 

うららかな陽気の中、ロイエンタール邸の車寄せに猛スピードで地上車が入って来た。執事が驚いたことに、その中からシャツとズボン姿―よく見ると身体に合っていない―のこの屋敷の主が現れた。彼は挨拶もせずに階段を2段飛ばしで2階へ上がって行き、悪態をつきながら廊下を滑って自室へ飛び込んだ。そんな帰宅の仕方は主人が十代のころでさえなかったことだ。

しばらくガタガタと屋敷中に響くかと思われるような騒音がしていた。やがて激しい音を立てて扉が開き、何かを蹴倒しながら正装し剣まで携えた軍服姿の主人が再び廊下を走り込んで階段に向かった。
遅れてきた少年時代を取り戻して、階段の手すりを滑り降りるかと執事は密かに期待したが、がっかりしたことに主人は控えめに3段飛ばしで階段を下りて来た。
主人は叫んだ。
「役場はどこだ!?」
「役場でございますか…」
そこにコルネリアが飛び出してきた。
「オスカー! あなたここで何をしているの! もうとっくにあちらへ行っているかと思ったのに! 私も披露宴にお邪魔したいところだけど、お友達がたくさん集まるようですからね、若い人たちをびっくりさせてもいけないかと思って。後でご主人が宇宙に行ってしまってからじっくりお話ししましょうねって私たち…」
ロイエンタールは叔母の話を遮った。
「叔母上、お話はまた今度。急ぐんです」
「ねえね、オスカー、ちょうどいいわ。フロイライン(今頃もう、フラウになっているかしらねえ)にお届けするつもりだった花束を持って行ってちょうだい。素敵な花束をこしらえたのよ」
ロイエンタールは叔母がさし示した花束とやらを見て目を剥いた。
「こんなものを持って歩けと言うんですか」
「そうよ、素敵でしょう。フロイライン(もうこの時間ならフラウね)も喜びますよ」
そつのない執事が主人の袖を引っ張って言った。
「地上車に役場の住所を入力しました! 最短距離で行くように設定しました…!」
「よし! 行ってくる!!」
主人は出がけに玄関扉にぶつかって呼び鈴を鳴らし、そのまま追い立てられるように花束を持って地上車に飛び乗った。
地上車は来た時と同様に猛スピードで通りへ出て行った。

 

ウォルフガング・ミッターマイヤー少佐並びに夫人のエヴァンゼリンが役場の大きな扉を出ると、途端にクラッカーが弾け、色とりどりの花やリボンや紙吹雪が降り注いだ。
友人たちや部下のおめでとうの声に、10分前に出来たばかりのミッターマイヤー夫妻は二人して真っ赤な頬をして手を振ってありがとうと答えた。30年来の夫婦のミッターマイヤーの両親がやはり幸せいっぱいの真っ赤な頬をして若夫婦の後から現れた。年配の親戚や友人たちが二人の元に近寄って口々に祝福を述べた。
「…まあ、エヴァったらとても綺麗よ…!」
「…ウォルフも大きくなったな。あの腕白小僧がなあ…」
「…逞しい面構えの部下がたくさん参列しているじゃないか。ウォルフは立派な艦長だと言っているぞ…!」
「…あの中に独身の士官さんは何人いるかしら…」
その中で最初にロイエンタールが表の通りをやって来るのに気付いたのは、彼の親友たるミッターマイヤーだった。いつも通りの涼しい顔だが、彼自身が結婚するかのように美々しい正装姿で、手に大きすぎるバラの花束をぶら下げている。それが忙しいオーディンの通りを堂々と歩いてやって来るので、道行く女性が皆振り返り、立ち止まってうっとりして彼を見送っていた。
役場前の人だかりに気づき、ミッターマイヤーがこちらを見ているのを認めると、笑いもせずに頷いた。ロイエンタールはゆっくり歩いて彼らの方に近づいた。
ミッターマイヤーの友人や部下たちも彼がやって来るのに気付いた。
人々が気圧されたように自然に彼に道を開け、ロイエンタールは親友とその新妻の前で立ち止まった。ミッターマイヤーは彼が笑顔でおめでとうと言うのを待っていたが、親友は彼の方を見向きもしなかった。
ロイエンタールは大きな花束を後ろ手に持ち、エヴァンゼリンをじっと見降ろしていた。次いで彼女の右手をしっかり握ると、片膝をついてその結婚指輪の上に接吻した。しばらくそのままでいたが、やがて滑らかな動きで立ち上がった。
「フラウ・ミッターマイヤー」
「はい」
エヴァンゼリンを最初にフラウ・ミッターマイヤーと呼ぶ栄誉にロイエンタールは浴した。
「あなたは何があろうと、この男を幸せにしなくてはいけません。決して裏切ることなく、この男を信じて、いつまでも共に過ごすのです。それこそがあなたがこの男のためにこれから生涯かけてしなくてはならないことです」
ミッターマイヤーは唖然として親友の横顔を見つめた。だが、その視線に気づいていないかのように、ロイエンタールはエヴァンゼリンの手を強く握ったまま、色違いの強く輝く瞳で彼女の菫色の瞳を見つめた。
「たとえ、私がこの男を裏切り、悲しませるようなことがあったとしても、あなただけはこの男のそばに立ち支え続けなくてはなりません。もし、それが出来ないのであれば、私は即座にあなたのこの手を切り落とす」
ミッターマイヤーがぎょっとしてエヴァンゼリンを引っ張ろうとした。だが、ロイエンタールは夫の方にバラの花束を押し付け、右手に握ったエヴァンゼリンの手首を離さず、左手でサーベルを持ち上げた。
エヴァンゼリンの頬は赤みを失いかけていたが、彼女はロイエンタールの言葉を恐れる理由がなかった。
「ロイエンタール様、私はおっしゃる通りのことをします。ですから、あなたの剣はおしまいください」
エヴァンゼリンは簡単に思ったままを伝えた。
ロイエンタールは頷くと、何も言わずにエヴァンゼリンの手を離した。ミッターマイヤーからバラの花束を取り戻すと、エヴァンゼリンの両手に優しく乗せた。
そのまま後ろを向いて、あっけに取られている人々の間を通って再び行ってしまった。
通りがけに少し離れたところからやはり口を開けてこの一幕を見ていた、ミッターマイヤーの副長のアイヒラーの肩を叩いた。
アイヒラーははっとして声を張り上げた。
「ミッターマイヤー艦長、フラウ・ミッターマイヤーに敬礼!!」
副長の合図に、ミッターマイヤーの部下たちが整列し敬礼した。
「剣抜け! アーチの体制!!」
打ち合わせ通り、向かい合わせに立った士官たちがそれぞれのサーベルを抜き、頭上に掲げ、互いに剣を交差させてアーチを作った。
剣を掲げる士官たちの顔はどれも若く凛々しかったが、心底嬉しそうに輝いていた。艦長と新婦が驚いているのを見て明るい声で口々に祝いの言葉を投げかけた。
二人はしっかりと手をつなぎ合って白く光る剣のアーチをくぐって行った。

 

宇宙港には多くの見送りの人々が集まっていた。

エヴァンゼリンもミッターマイヤーの両親と共にそこにいた。彼女は腫れた目をして少し青ざめた疲れが見える表情をしていた。泣いていたせいばかりでなく、前日結婚してから今まで一睡もしていなかったせいでもあった。
前回、ミッターマイヤーを見送った数年前、彼はまだ一介の平士官で責任も軽く、すぐにも戻って来ると思われた。だが、いまや彼は大きな巡航艦の艦長となり、たくさんの部下を抱えている。責任が大きくなった分、危険も大きなものとなったように思われた。それに、彼はもうただの親切で優しいお兄さんではない。彼女の生涯を賭けた大切な存在なのだ。
―でも、もう行ってしまう…。どうか、早く私の元に帰ってきますように…。どうか、無事に戻ってきますように…。
宇宙港の滑走路を見渡せる広いロビーは全面ガラス張りで、見送りの人々はそこから夫や、恋人や、子供たちが搭乗する艦が飛び立つのを眺めることが出来た。いくつかのスクリーンが遠くの滑走路から飛び立つ艦の様子を映しだし、見送りの人々の視線を集めていた。
一つのスクリーンにロイエンタールが指揮する巡航艦、ヴィーゲンリートの姿が映し出された。搭乗する艦長に対し儀礼に則り敬礼する兵士たちの列に、ロイエンタールが敬礼を返す姿が映る。彼の艦の士官や兵たちの家族が見守る中、艦長は副長に頷くと高く頭を掲げて自分の艦へ続くタラップを登って行った。
ゆっくりとした足取りで、このような大きな巡航艦を指揮することなど初めてではないかのような、堂々とした姿だった。
士官たちの家族の中に、アンシュッツと夫人のコルネリアの姿もあった。二人は手を取り合って甥が歩みを進める一部始終をじっと見つめていた。
アンシュッツはコルネリアの手が震えているのに気付いた。
「コルネリア―」
「あなた、あの子はもう私たちのあの可愛いちいちゃな男の子ではないんだわ―! あんなに立派な軍人さんで、もう私たちの子供ではないんだわ―!」
コルネリアは泣きじゃくって、夫の手をきつく握りしめていた。彼は息子ではない、ただの兄の子でしかない。だが、アンシュッツには妻が言いたいことが分かっていた。彼はもう誰の手助けも必要としない一人前の男なのだ。
巡航艦、ヴィーゲンリートは艦長他多くの兵士たちを乗せて、なんの前置きもなく浮上すると轟音を立てて飛び立っていった。モニタ上でカウントが開始され、ほんの数分でオーディン軌道上に到達することが示された。大気圏に突入後、モニタの映像が途切れた。
やがて無事、軌道上に到達したことが管制官によってスクリーンに表示され、じっと息をひそめて画面を見つめていた人々はほっと溜息をついた。
帰途につく人々の中で二人は立ち尽くしていた。
人波の中に、長年仕えた亡き義兄に似た後姿を見つけて一瞬アンシュッツの心臓は飛び跳ねた。義兄もまた息子の門出を祝いに冥府から戻って来たかと思った。だが、それは義兄の従弟のヘルマン・アルトマンの後姿だった。まるで一晩で老け込んだかのように、がっくりと肩を落としていた。パーティーの時に見かけた甥とアルトマンの様子から、なんとなく察していたアンシュッツはやはりそうだったかと心中で頷いた。
罪作りな甥に首を振ると、アンシュッツがそっと妻に言った。
「だが、オスカーはきっとまた君の元に戻って来て、とんでもないことをやらかすよ」
「ええ、そうね。だとしても、もう私たちが何かをしてあげる必要はなくなるんだわ。あの子には立派な副長さんや頼もしい護衛の隊長さんまでいるのよ」
コルネリアは思い切り泣いたせいか、少し気を取り直して続けた。
「ま、そうよね。確かにあの子が結婚して子供が出来ればなにかとすることはありそうね。兵隊さんたちにも出来ないことがあると思い出してよかったわ」
二人のそばに立派な軍服の高官がいた。誰かの家族とも思えなかったが、彼ら同様に2艦の巡航艦が飛び立つのを見ていたのだった。
「ヴィーゲンリートのロイエンタール中佐はあなた方のお子さんですかな」
その人物は静かな口調で尋ねた。
「甥なんですの。でも、私たちにとって本当の息子のようなものですわ。でも、もう行ってしまいました…」
コルネリアの再び涙でいっぱいになった目を見て、高官は優しく言った。
「優秀な軍人です。彼は時を置かずにまたあなた方の元へ戻ってきますよ。司令本部も、ミッターマイヤー中佐同様、彼のような有能な士官を宇宙の片隅に放っておくような愚はせんでしょう」
アンシュッツが高官の言葉に感謝しつつ、不思議に思って問いかけた。
「しかし、オスカーは中佐ではなく少佐ですが…」
高官はオーディンのはるか遠く、宇宙を指さした。
「今頃、中佐になっているでしょう。それでは」
高官は二人に挨拶をすると静かにその場を立ち去った。彼は二人の若い艦長が巡航艦を指揮して無事オーディン軌道上へ上げる手順を注意深く見守っていたのだった。その手際の良さと確実さから、報告書の内容や彼らの上官だった、僚友のゼンネボーゲン提督から聞いていた事柄が真実らしいと分かり、高官は喜んだ。だがしかし、これくらいのことは熟練した部下を抱える艦であれば、誰でも卒なくこなすことが出来るのも事実だ。
「これからどのように任務を果たしていくことになるか…。しかし、私もそれを座して楽しむわけにはいかんのはいささか残念だな」
いずれ直接、戦場において彼らの働きを知るときが来るだろう―。高官は自身の旗艦に搭乗すべく急いだ。

 

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