Season of Mackerel Sky
2、
道々、昨日の出来事を思い起こしながらロイエンタールはとあるビルに入っていった。彼は扉の前の秘書からにこやかな挨拶を受けると社長室に入り、だしぬけに叔父に迫った。
「パーティーを開くとはどういうことですか。どうやら私が主役になる趣旨の集まりらしいですが、そんなことは全く聞いていません。パーティーなどやめてください」
「知ったらそういうだろうと思ったからだ。せっかく当日有無を言わさず出席させるつもりだったのにな。誰から聞いた」
甥の突然の糾弾に驚きもせず、苦笑しながら叔父はぬけぬけと答えた。
「昨日、ヘルマン・アルトマンという韻を踏んだ名前の紳士に会ったのです。こんな親戚がいるとは知りませんでした」
「それゆえパーティーが必要なのだ。おまえをよく知らない親族もいるし、おまえの方でも彼らの一人一人について知らぬ。おまえの父上は一族の者の面倒をよく見られたものだ。つまりそれは、血は薄くてもつながりがある親族が増えたということを意味する。このことはおまえにとって親戚一同という財産を譲られたと同じなのだ。株券と鉱山の権利同様、それらは詳細に吟味すべきだろう? んん?」
ロイエンタールはため息をつきそうになるのを堪えて首を振った。叔父と共に社長室を出て、すでに弁護士が書類の準備をして待つ隣室へ移りながら言う。
「私は明日にも任地へ向かう身です。次にその親戚たちに会うのは何年後になることか…」
「それでは尚更、今こそ絶好のタイミングというものだ。オスカー、よく考えてみよ。その親戚たちと今、顔を合わせておけば、次におまえがオーディンに帰還した時、その親戚たちがおまえの昇進、出世の役に立つことがあるかもしれんぞ」
「彼らにとっても私を通して軍部とのつながりを保つことが出来て、いろいろ都合がいいという訳ですか」
叔父は何もそれには言わずに甥に椅子をすすめ、弁護士に対しては頷いて、「さあ、今日の分を片付けてしまおう」と言った。
ロイエンタールはため息をついて懐からペンを取りだし、弁護士が読み上げる書類に注意を向けた。
書類仕事の合間の休憩にコーヒーを飲みながら、叔父が言った。
「ところで、おまえがパーティーのことを知ってしまったからには聞いておきたいことがある。軍の関係者で世話になった上官や、戦友などいるようであれば名前をリストアップしておけ。コルネリアがパーティーの招待状を手配するだろう」
「軍の…? 親戚だけでなく軍の関係者も呼ぶのですか」
「この際だ。広く声をかけるといい。おまえの親友のミッターマイヤー君がいるだろう。彼も呼んでやりなさい。うちの一族だけでもかなりの数の若い娘が参加するからな。ダンスの相手に独身の若者があと10人は必要だ」
ロイエンタールは叔父の言葉に素直に頷きかけて気づいた。
「…いや、彼は」
「なんだね」
「昨日、婚約したとさっきミッターマイヤーから聞きました。もう独身ではないので」
叔父はそれを聞いて楽しそうに笑い出した。
「それはいい、それならなおさら婚約者のお嬢さんと一緒に招待してあげなくてはな。オスカー、そのお嬢さんと一番最初に踊ってあげるのだぞ」
「まさか、踊ったりなどしません。ミッターマイヤーもこんなパーティーなど退屈だと言うと思いますが」
「何を言うか。幸せな二人に記念になる場を提供するのも親友の役目だぞ。ミッターマイヤー君は退屈かもしれんが、パーティーの嫌いな若いお嬢さんなど私は会ったことがない。ミッターマイヤー君も婚約者が出席したいと言えば喜んで来てくれるだろう」
ミッターマイヤーの婚約者がパーティー好きかどうかなどロイエンタールは知らない。だが、親友の言葉から察するに派手なところのない、穏やかな性質の娘のようだ。親友が『エヴァ』を称える言葉など話半分に聞いていたはずだが、それでもすでにその娘のことをよく知っているような気がした。
―ミッターマイヤーの奴は飲むたびにあの娘の話をするから、そのせいだ。
「それでどうだ。世話になった上官などはいるか。おまえの今後のために呼ぶべき人物は招待せねばならんぞ」
ロイエンタールはコーヒーを飲んで考えこむ振りをした。どうやらパーティーの開催を既成の事実として受け入れ、しかも軍の知人を総ざらいして叔父に差し出さなくてはならないらしい。
「2、3の思いつく人たちがいますが、現在、オーディンにいるかどうかも分かりません」
彼は士官学校で世話になった指導教官や、近衛から宇宙艦隊への異動を推薦してくれたかつての上官、中尉に降格になった時に彼を弁護してくれた人々などを思いうかべた。
叔父はコーヒーカップをテーブルに置いて、膝に手をついて甥の方に身を乗り出し、声を落として言った。
「うむ、オスカー。その軍人たちについて一つ聞いておきたいのだが、その中におまえの恋人は何人いるか」
その言葉に甥はコーヒーを噴き出したので、叔父は眉をひそめた。
「どういう意味ですか!」
「言葉通りの意味だ。席次を決めるのに恋人と元恋人が鉢合わせるなどして、パーティーをぶち壊しでもしてはいかん。それがおまえの上官ならば、そんな修羅場はおまえの将来にも関わるからな」
叔父は大きなハンカチを懐から出すと甥に手渡して言った。
「私は上官を恋人になどしません! 叔父上、私は軍人であることに誇りを持っています。出世のために上官と寝て取り入るつもりはありません」
「おまえの軍人としての矜持などはこの際関係ない。それではその方面については気にせずに手配してかまわんのだな」
ロイエンタールは荒々しく音を立ててコーヒーカップをテーブルに置くと、叔父を睨み付けた。
「何の心配もありません」
「結構だ」
腕組みして自分を睨み付ける甥を見ながら、再びアンシュッツはコーヒーカップを取り上げた。そして、口調を改めて言った。
「オスカー、数年前、イゼルローンに立つ前のおまえはそれほど軍の職務に忠実とも思えなかった。そうであれば上官の娘とねんごろになっておきながらそれを捨てて騒動を起こし、降格になどなったりするはずがない」
「若気の至りです」
「宇宙艦隊を希望していたのに近衛師団に配属されて、その任務が気に入らないらしいということは察せられたがな。オスカー、おまえは本当の軍人になったのだな」
甥はうつむき加減の顔をさっと上げて叔父を見た。叔父にとって、数年前より鋭さを増したその顔立ちは、確かにオーディンにいた時には知らなかった戦場の過酷さを忍ばせているように思えた。
かつてのオーディンのロイエンタール大尉はただの甘やかされた駄々っ子の貴族に過ぎなかった。だが、幾多の戦場を経て、彼は軍人としての経験を積み、より大きな宇宙という舞台へさらなる飛躍をしようとしている。
「オーディンで得た大尉の地位はおまえの貴族身分のお蔭だった。私はおまえがイゼルローンで不貞腐れて、そのまま宇宙に埋もれてしまうのではないかと思っていた。だが、おまえは武勲を上げ大尉の身分を今度は自力で勝ち取った。そして今や、少佐だ」
叔父は立ち上がるとテーブルを回って来て、甥の肩に手を置いた。
「おまえの頭脳を軍などではなくおまえの父上と私たちのために役立てて欲しいと思っていた。だが、何がおまえを変えたのだろうな? もう、今では軍人としてのおまえ以外は想像もつかん」
―何がおれを変えたのか?
それはイゼルローンで出会った、同輩の中尉の影響に他ならなかった。
翌日、ロイエンタールは宇宙艦隊司令本部の待合室にいた。オーディンに帰着して以来、時間があるときはここに顔を出して辞令が降りるのを待っている。軍人たちが多数、彼と同様にさまざまな理由によって待合室で待っていた。だが、もうすぐオーディンについて一か月が経とうとしているのに、いまだに辞令の気配もなかった。
―最初の話では陸戦隊に出向になるということだった。だが、どこに配属されるのか、その任務の内容すらいまだ不明だ。ミッターマイヤーと共同で進める任務だと言われたが…。
何か状況が変わって、内定していたはずの任務に問題が生じたのだろうか? ロイエンタールの今の望みと言えば、今日にも辞令が届き、パーティーともミッターマイヤーの婚約者ともおさらばすることだった。
待合室の壁にもたれて立つロイエンタールの前に、ぬっとコーヒーが入った紙コップが突き出された。
「たいして美味いもんじゃないが気分転換にはなる。俺たち何日ここで待てばいいんだ?」
ロイエンタールはミッターマイヤーが差し出す紙コップを受け取った。
「司令本部の事務がスムーズに進めばな。そもそも次の任務の用意がされているかどうかも疑問に思い始めてきた」
「まさか」
ミッターマイヤーが自分のカップからコーヒーを飲んで半ば笑いながら言った。
早朝から司令本部の事務所が開くのを待っていたミッターマイヤーの方が先に窓口に呼ばれた。だが、待つまでもなく戻ってきて、ロイエンタールに首を振ってみせた。今日もまた、事務官たちの返事はこの1か月言われ続けてきたのと同じ、辞令を『作成中』だと言うことだった。
二人は連れだって司令本部の建物を出て、語り合いながら石造りの階段を下りた。
「もうすでに1か月だぞ、最初のうちは思わぬ休暇を得て幸いだと思ったが…」
ロイエンタールも頷いた。
「おれが気になっているのは、おそらく我々がオーディンへ帰着するまでの間に何事か起こり、事情が変わったのではないかということだ」
「どんな事情が起こると言うんだ? 陸戦隊に出向で…、俺たちともに中佐待遇で迎えられるという話だったな」
「それが確実な話かどうかも分からんのだ。明日にも二人バラバラに別の宇宙へ飛び立つかもしれん」
「そうだな…」
ミッターマイヤーは腕組みをして親友の隣を歩いた。ふと、立ち止まってロイエンタールの方へ振り向く。
「なあ…、ロイエンタール、昨日はからかったりして悪かった。俺、浮かれてたんだよ。おまえを馬鹿にしたり笑ったりするつもりはなかったんだ」
率直な言葉を受け入れないわけにはいかなかった。少々面映ゆい思いでロイエンタールは答えた。
「おれこそ、驚いたせいだろうがおかしなことを言ったようだ。祝いの言葉も述べていなかったな。すまなかった」
ミッターマイヤーはほっとしたように頷くと、にっこりして親友の腕を叩いた。
「…もしかして別の宇宙に行くことになろうとも、おまえは俺の一番の友だからな。またおまえと一緒に行けるんだといいんだがなあ。おまえと一緒なのはもう確実だと思ってすごい喜んでたんだぜ。なのにおまえは平気でバラバラになるとか言うんだな」
ミッターマイヤーに腕を何度か小突かれて、ロイエンタールは大きく首を振った。
「おれだって、平気ではないさ…! だが、心づもりをしておけば本当に別々になった時、多少気が楽だろう…」
「いずれにせよ、そうだとしたらショックだよ。なんかおまえと一緒にいすぎたみたいだな。おまえが一緒なのに慣れちまった」
「そうだな…」
ミッターマイヤーはまだロイエンタールの腕を小突いている。少し痛い。それは二人が肩を並べて進む歩調と同じリズムだった。
イゼルローンでも、その後の任地でもミッターマイヤーと二人で同じように歩いていたような気がする。そしておそらくそれは錯覚でもなんでもないのだ。実際に二人で幾度も議論をしながら、または喧嘩をしながら同じように並んで道を歩いてきたのだ。
これからもきっと共に歩いて行く。ロイエンタールは口ではミッターマイヤーと別の宇宙に旅立つ可能性があるようなことを言った。だが、それは全くありえないことで、むしろこれからも親友と共にいるに違いないと確信していた。
「ロイエンタール、実は俺考えてることがあって、おまえに相談したかったんだが…」
「…なんだ?」
ロイエンタールはそよ風を頬に受けて夢見心地で答えた。
「エヴァに婚約指輪をあげたいんだ。でも、どのくらいの金額がいいかとか、どういったものが相応しいかとか、それにどんな店で買えばいいかもわからなくて…。おまえならそういう店にも詳しいだろう? だから教えてもらえないかな…」
ミッターマイヤーはエヴァの華奢な指にはやはり細くて可憐な指輪がいいのだろうか、それともむしろ大きめの目立つデザインの方がいいんだろうか、などと続けた。ロイエンタールはすっかり目が覚めた気分で天を仰いだ。
―ミッターマイヤー…。くそったれ…!