Season of Mackerel Sky
前奏曲
12、
今夜のパーティーは、若い当主が主催するに相応しく、若者たちが楽しく参加できるようにというコルネリアの肝いりで、晩餐会にダンスが付いた最近はやりの盛りだくさんの内容になった。
ロイエンタール一族の令嬢たちは晩餐の料理もそこそこに、皆くすくすと笑いながら、あてがわれた寝室に4、5人ずつ飛び込んだ。これから化粧を直してダンスシューズを履いて、たくさん来るとフラウ・アンシュッツが確約してくれた帝国軍人さんと踊るのだ。
これらの娘たちはご当主の従姉妹と目されていたが、実のところは先代のいとこやまたいとこの娘たちだった。エヴァンゼリンも身内のお嬢さん方と一緒に一室を与えられた。晩餐の時近くに座っていて仲良くなった、カロリーヌ・アルトマンと互いにドレスの着付けを直した。そこに硬い表情をした姉のエロイーズがやって来た。どうやらエヴァンゼリンとアルトマン姉妹、オスカーの『従姉妹』たちの中でも最年長で28歳のグレータがこの部屋のメンバーらしかった。
「あの人たち、うんざりする。私たちがよそ者だって言って馬鹿にするのよ。私だってあのオスカーと同じ血を引いているのに」
「何を言われたの、エロイーズ?」
「私たちは本当の貴族の身内じゃないとか、職人風情だとか、そんなこと。うちのお店で作ったアクセサリーを身に着けているくせに、臆面もなく私に向かってそんなことを言うのよ」
カロリーヌが好奇心にあふれて姉に詰め寄った。
「そんなこと、誰が言ったの!?」
グレータが年長者の余裕を見せて、コンパクトの鏡から顔を上げて自分が座るベッドを叩いた。
「まあ、お馬鹿さんたちのことは気にしないことよ。ここに座って、早くダンスシューズを履きなさいな」
「あの人たち、誰が一番にオスカーと踊るかで喧嘩してるわ。馬鹿みたいよね、彼がだれを選ぶかあの人たちにも分からないのに! あなたかもしれなくってよ、グレータ!」
否定するかと思いきや、グレータは鼻で笑ってティーンエイジャーたちに指を振った。
「私なんか相手にしないと思っているんでしょうけど、私が知ってるオスカーの性格ならありえなくもないと思うわ。彼にしてみれば女の子たちの争いの的にならないで済むなら、あの森の古木みたいな老エーレントラウトおば様とだって踊るでしょうよ」
エヴァンゼリンがそれを聞いて思わずくすっと笑ったので、ロイエンタール一族の娘たちは彼女の方を振り向いた。
カロリーヌが姉たちに新しい友人を紹介した。
「このエヴァンゼリンはね、オスカーの軍隊での親友のミッターマイヤー少佐と来週結婚するんですって。ねえ、エヴァンゼリン、あなたはオスカーのこと、良く知っているの?」
「残念ながら私も先日、ウォル…、ミッターマイヤー少佐に連れられて、初めてお会いしたばかりなんですの。でも、彼から聞いた話では、社交の場で困った立場に陥ることがない方のように思われましたわ」
グレータがロイエンタール一族特有の皮肉交じりの優雅な笑いを放った。
「上手い言い方だわ。私ならオスカーは眼中にない相手は容赦なく無視するというわ。エロイーズを馬鹿にしたヘルミーネやクラーラみたいな軽い小娘たちなどは特にね。彼女たちが図々しく迫ってきたら、あの優雅な鼻を背けて気がつかないふりをするでしょうよ」
オスカーは自分には年上すぎると思っているカロリーヌは、この話題に飽きたらしかった。
「ねえ、その指輪はうちのお店で誂えたのね。そのデザインですぐ分かったわ。あなたの可愛い指にぴったり。ミッターマイヤー少佐はちょっと背が低いけど、遠くから見ると全然そんな感じじゃないのね。男の人に抱きしめてもらうのってどんな感じ?」
「失礼よ、カロリーヌ」
姿は大人びているが17歳でまだ初心なエロイーズがエヴァンゼリンに負けず劣らず、妹の好奇心に赤くなった。「子供なんだから…」
「もし、オスカーが踊ってくださいって言ったら、ミッターマイヤー少佐との結婚はやめる?」
「まあ! そんなこと…! ウォ…、ミッターマイヤー少佐の親友ですもの、その方からダンスに誘っていただいたらとても光栄です。でも、踊ったらそれでおしまい」
「駆け落ちしたりしない?」
姉が妹にクッションを投げた。
「そんなことするわけないじゃない! ミッターマイヤー少佐だって素敵だもの。特にあの笑顔がかわいいわ。いくらあのオスカーだからって、自分を愛してくれる人とは比べられないわ」
グレータがぽつりと言った。
「先代が生きていらしたら、オスカーが何をするか分からないところだけど。お父様の顔に泥を塗るだけの目的で、親友の花嫁を強奪したかもしれないわ」
先代のことは怖い老人としてしか知らないアルトマン姉妹は興味津々で年上の従姉を見た。
「どういうこと?」
「オスカーは以前、上官の娘と深い仲になっておきながらその人を捨てて、それが原因で3人の帝国騎士と決闘になったのよ。オスカーは決闘で3人とも倒したけど、その騒ぎで降格されて、しばらく社交界はその話でもちきりだったわよ。デビュタントの娘がいる母親はみんなぞっとしたに違いないわ。彼に狙いをつけていた母親はごまんといたから」
高級ランジェリー会社の立ち上げに奔走し、当時すでに嫁き遅れと言われていたグレータはその頃をよく知っていた。アルトマン姉妹が好奇心を押さえられずに聞いた。
「それで!? どうなったの?」
「どうもならないわよ。つまり、そんな騒動を起こしたのはお父様に恥をかかせるためだったに違いないというのが、一族の間での定説なの。みんな、オスカーのことは士官学校を出てからの数年しか知らなかったけれど、彼とお父様が最悪の仲だって気づくのに1か月とかからなかったわ。でも、もうお父様は亡くなって、オスカーは今や出世してご当主だし…」
エロイーズがちらりとエヴァンゼリンの方を見た。エヴァンゼリンはダンスシューズのストラップを調節しており、身内の話を聞いていないように見えた。
グレータがエロイーズの様子に気づいて言った。
「この話はべつに秘密じゃないわよ。オスカーの醜聞は有名だし、一族の見解は一族の中では周知のこと。本当に親友の花嫁を強奪したらそれは彼女に対する愛かもしれないわよ」
「…そんなこと、ありえませんわ。ロイエンタール様はウォルフにとってとても大切なお友達です。ロイエンタール様にとってもそうだと思います。愛があると言うなら、きっと親友に対する愛情のことで、ロイエンタール様はウォルフが悲しむようなことはなさらないと思います」
3人の令嬢は大人しそうなエヴァンゼリンがそのようにはっきりと意見を言ったので、びっくりして彼女を見つめた。エヴァンゼリンの表情は真面目で、ミッターマイヤーへの懸念からそのような言葉が出たのだと分かった。
グレータが立ち上がった。
「もうそろそろ行きましょう、私たち、ダンスにあぶれてしまうわよ。オスカーが踊ってくれなくてもさすがに壁の花はご免だわ」
そう言ってエヴァンゼリンの手を取ったので、それが彼女の謝罪らしかった。エヴァンゼリンもその手を握り返して、微笑んだ。
「フロイライン・エヴァンゼリン、踊っていただけますか」
3人の従姉妹たちと共に舞踏室に現れたエヴァンゼリンにロイエンタールがお辞儀した。
「きゃっ」とカロリーヌがひと声叫んだので、姉が妹の足を蹴飛ばした。近くにいる者たちだけでなく、部屋の遠くにいる客たちもこちらを見ていることに気づき、エヴァンゼリンはさすがに心臓が高鳴るのを覚えた。その時、ロイエンタールの姿の向こうに、首を伸ばして心配そうに彼女を見ているミッターマイヤーが見えた。
エヴァンゼリンはにっこりしてロイエンタールの手のひらに自分の手を乗せた。
「ありがとうございます。喜んで」
手を取られて進んで行き、気がつくとエヴァンゼリンは舞踏室の中央にロイエンタールと並んで踊り手の先頭に立っていた。
ロイエンタールやミッターマイヤーの部下の若い士官たちが次々と、令嬢たちを誘って彼ら二人の後ろに列を作った。他の客たちも加わって、いくつかの男女の列が舞踏室一杯に広がった。小さな楽団による弦楽器とピアノの伴奏が始まり、踊り手たちが周囲で見守る客たちにお辞儀をする。
そして、男女が向かい合って互いにお辞儀をした。
少し頭を下げて膝を折ってお辞儀をしたエヴァンゼリンが顔を上げると、ロイエンタールがお辞儀から起き上がるところで、互いに目が合った。
向かい合ったパートナーがあまりに生真面目な表情だったので、エヴァンゼリンは安心させるようににっこり笑った。ロイエンタールの片方の眉が上がって、その笑顔に答えるように目が細められ、彼もまた微笑んだ。
どうせ踊るなら先ほどのように義務感に駆られてのことではなく、こちらを見守っているウォルフのためにも少しでも楽しんで踊ってほしい。
そう思ったエヴァンゼリンの気持ちが通じたように彼女には思われた。
―それに確かにこの方の微笑みはとても綺麗だわ。お従姉妹さんたちの心配も当然ね。
緩やかな曲に乗って、軽くて小さなステップを踏みながら近づいた。
「パーティーを楽しんでいますか」
ロイエンタールが問いかけた。
いったん遠ざかってパートナーが先ほどまでいた位置で向き直ったエヴァンゼリンは、やはりこちらへ向き直ったロイエンタールに再び微笑んだ。
「はい、とっても。皆さん素敵な方たちです」
踊り手たちは皆、そろって再びステップを踏みながら元いた位置に戻った。
「私の従姉妹たちにいじめられているかと思って」
エヴァンゼリンの隣で踊るグレータが淑女らしくなく鼻で笑った。グレータは慌てて取り繕って扇で口元を隠した。
再び小さなステップで近づいた時に、エヴァンゼリンが答えた。
「気さくにお話してくださる、気取らない方たちばかりですわ」
遠ざかる背中で、ロイエンタールの忍び笑いが聞こえた。
再び向き合うと、互いに真っ白な手袋をした手を取り合って、男女の列の間を軽やかに同じリズムで進んで行った。並んで進みながらロイエンタールが今度は途切れることなく話しかける。
「あなたはおっとりして見えるのに、意外にはきはきしていますね」
「ウォルフのように率直にお話しするように努めています」
二人は最後尾に来ると振り返って、同じように移動して行くカップルの空いた場所に納まった。互いの両手を取って、隣のカップルと場所を入れ替えるようにステップで進む。
「ミッターマイヤーのように?」
「はい」
二人は再び向かい合った位置に立ち、男女の列の間を先頭の位置にいるカップルがこちらへ進んでくるのを眺めた。
「初めて会った子供の時、ウォルフはいつでも私の目を見てお話してくれました」
「他の人たちはどんな風だったのですか」
「よく、私を気の毒そうに見て、ひそひそ話をしていたものです」
孤児となった彼女を元気づけようとどのようにミッターマイヤーが励まし、なぐさめようとしたか、もっと詳しく話したいとエヴァンゼリンは思った。ミッターマイヤーはさすがに会ったばかりの頃は彼女の存在に戸惑ったようであったが、じきに楽しい遊び相手になった。その時感じた親しみが尊敬に代わり、もっと深い愛情が加わるようになったのはいつからだったのか。
そういったことをこの彼女の婚約者の親友である人にじっくり聞いてほしかった。
―私とロイエンタール様はウォルフを間にしてつながっている。きっとこの方は誰よりもウォルフに対する私の気持ちを分かってくださるに違いない。
二人は軽快な音楽に乗って、互いの両手を取って隣のカップルと入れ替わるようにして移動した。もう一度お隣をまわってから手を離し、初めと同じようにステップを踏みながら相手とすれ違い、離れて行く。
「彼は含むところなどない、まっすぐで、すがすがしい気性の男です」
ロイエンタールがエヴァンゼリンの心の内を聞いていたかのように、先ほどの言葉に答えて言った。離れながらエヴァンゼリンはロイエンタールの色違いの目を見た。
「はい、おっしゃる通りだと思います」
「それが分かるならば、やはりあなたは彼の花嫁に相応しいのでしょう」
幾つかのステップの後に、曲がゆっくりと終わり、元のように向かい合わせに並んだ男女は互いにお辞儀をした。
「―ありがとう」
ロイエンタールがエヴァンゼリンの手を引いて、拍手の中を壁際に立つミッターマイヤーに向かって行った。優雅なダンスの間中、自分が話題の的となっていたことなど露知らず、ミッターマイヤーはにこにこして親友とじぶんの婚約者がこちらへやって来るのを見ていた。
「私こそ、踊っていただきありがとうございます。どうか、ぜひお従姉妹さんたちと踊ってくださいな。皆さん、とても楽しい方たちですわ」
「従姉妹とはどの? 5、6人はいるが」
「まあ、8人です。もしお元気が続くようでしたら皆さんと踊って差し上げてください」
「全員と…!?」
「そうです。もし、特にお好きな方がいらしたら、その方だけでも結構なのですけど」
ロイエンタールは大きな声で笑った。パーティーが始まって以来、誰もロイエンタールの笑い声を聞いた者はいなかったので、彼の近くにいた者たちだけでなく、部屋中の人間が全員彼の方を振り向いた。
「残念ながら、彼女たちのうち一人には決められない。だとしたら全員と踊らねばならない、というあなたのご意見はもっともです。しかし、ダンスの曲はあと8曲もなさそうだから、出来るだけのことはしましょう」
ミッターマイヤーに花嫁の手を手渡すと、ロイエンタールはエヴァンゼリンにお辞儀した。彼女が顔を上げると、ロイエンタールは軍靴の踵を鳴らしてアルトマン姉妹の方に向き直り、彫像のような笑顔でにっこりして姉の方に手を差し出した。
ミッターマイヤーは通りがかった給仕が掲げるトレイから、エヴァンゼリンのためにオレンジジュースを取り、彼女に渡した。
「君たち、何を話していたんだ? あいつ、さっきまでダンスをするのは絶対ご免だってごねてたんだぜ」
どのように答えようかと彼女が考えている間に、ミッターマイヤーの艦の部下の一人が近づいて艦長に挨拶をし、答えるタイミングを失った。エヴァンゼリンはオレンジジュースを飲みながら、先ほど婚約者の親友と交わした会話について考えていた。
エヴァンゼリンは踊りながらではなく、ぜひ彼とお茶を飲みながらウォルフの噂話をしたいと考えた。しかし実のところ、先ほどの会話ではソファに座って対面して話す以上に、ロイエンタールのことを理解した気がした。彼はもしかして、自分と同じように何かを失ったことがあり、ウォルフのおかげで救われた経験があるのではないだろうか。
―それを知るにはやはり本当にお茶を飲みながら、お話ししてみなくては分からないわ。