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前奏曲

9、

 

宇宙艦隊司令本部にディッタースドルフを伴ったロイエンタールが着くと、すでにミッターマイヤーと彼の副長たるアイヒラーが待合室で待っていた。いつもなら早朝から並んでいても2、3時間は待たされるところだ。しかし、今朝はロイエンタールが到着してすぐに事務官がやって来て、少佐の二人を別室に案内した。副長たちは二人が立ち去るのを見守った。
「どうやらようやく我らが艦長に新たな任務が課せられるようだな。卿の上官宅での仮住まいもあと10日足らずで終わりか。せいぜいお屋敷での暮らしを楽しんでおけよ」
アイヒラーが言うのをディッタースドルフは鼻で笑った。
「俺は気楽なお屋敷暮らしを謳歌するために、ロイエンタール艦長の家に上がり込んでるんじゃないぜ」
「へえ、じゃあなんだ」
「パーティーの重要な助っ人としてだ」
ディッタースドルフが見せた苦い表情がおかしかったのでアイヒラーは笑ったが、友人に詫びるようにその肩を叩いた。
「いや、実は俺の方はミッターマイヤー艦長の結婚式のお手伝いをすることになりそうでな。この後、役場に申し込みに行く。予約できる一番早い日に結婚される予定なんだ」
「ほう、そりゃまた急なことだな」
「昨日の夜、辞令が来てすぐに花嫁に申し込んだそうだ。電光石火、疾風の如き速さだな。ロイエンタール艦長もご結婚の決定を大いに喜んで、ご一緒に祝われたそうだ」
ディッタースドルフは口を開きかけたが、友人の朗らかな表情を見て黙った。昨夜の自分の艦長の様子を思い出して違和感を覚えた。
―親友が結婚するにしてはずいぶん機嫌が悪そうだったな。俺のせいでせっかくの気分も悪くなった、…という訳でもないように思えるが。
上官は今朝、約束した0700前にどこからか帰って来た。前夜、恋人の元にいたのは明らかだった。昨夜も今朝も、艦長の様子は親友の結婚が彼の心境に喜ばしい変化をもたらしたようには思えなかった。
しかし、それらの感想はすべてディッタースドルフの胸の内にしまわれた。
貴族出身ということで、自分がロイエンタール艦長の能力と人格に疑いを持っており、それが多分に偏見に満ちていることに彼は気づいていた。とはいえ、上官の噂話をしてその心理を忖度しようという気にはなれなかった。どうやら、上官の屋敷に住み、彼のパーティーの準備を手伝ううちに、仲間意識に似たものが生まれたようだ。

なんにせよ、まだ上官の兵士としての能力は何も知らない。それも10日後に出立するということになれば、じき明らかになるだろう。

 

それほど広くはない会議室の一つに案内された二人の少佐もまた、昨夜のことについて話していた。
「ロイエンタール、昨日はありがとうな。店のお客とまるで古い友達みたいに飲んで、今まであんなに楽しかったことはないくらいだ。おまえ途中で帰っちまっただろ。最後にケーキまで出たんだぞ。いつ帰った?」
2ダース分のワインの値段を支払い、支配人に店中の客に振る舞うように頼むと、ミッターマイヤーが気づかないうちにとかなり早いうちに店を出たのだった。
「…結構飲んだ後だったようだ。いつだか覚えていない」
ロイエンタールは会議室の安っぽい椅子に腰かけて、膝の上の見えないほこりを払った。
「うーん、そうか、俺もべろべろに酔っ払っちまって、エヴァに迷惑かけてしまった。支配人がおまえによろしくと言ってワインを俺とおまえとに1本ずつくれたんだ。446年物らしいが、おまえの好みのワインか?」
「そうだな、好きな方だな。410年物ほどではないがとてもいいワインだ」
ロイエンタールの向かいに座ったミッターマイヤーはパン、と1回両手を打ち合わせて笑った。まるでまだ酔っているかのように陽気だった。
「じゃあ、後でおまえの家に届けに行くからな。二人で446年物がどのくらい好みに合うか試そうじゃないか」
「…花嫁が待ってるだろう。おれなんかと飲む暇があるのか」
「俺の花嫁といえば、なあ、ロイエンタール。結婚式のことについて相談なんだが…」
ミッターマイヤーは帝国における結婚の儀式についての研究結果を滔々と話し出した。貴族階級においては、大勢の一族の前で結婚の誓いを述べ、花嫁と花婿が契約を交わす形式が普及している。一般庶民の結婚は役場で立会人の同席の元、正式な結婚の書類を作成するのが普通だ。その後、役場の外で待ち構える友人、知人、家族の祝福を受けてから、レストランなどで披露宴をするのだ。
「ぜひおまえに立会人になってほしいと思ってたんだけどな。実は俺とエヴァが子供のころからお世話になってる人がいて、その人にお願いするのがいいだろうってことになってな」
「―そうか」
うつむき加減になったロイエンタールは頬に手を添えて、考え込んでいるようだった。ミッターマイヤーはすまなそうに、すでにくしゃくしゃになっている蜂蜜色の頭髪を掻いた。
「両親がぜひそうするようにというもんでな。俺は今でもおまえにやってもらいたいと思ってるんだが」
「俺のことは気にするな。ご両親の望み通りにするのがいいだろう」
我ながら自分の台詞とも思えない白々しさだ。ロイエンタールはミッターマイヤーの目を見ることが出来なかった。親友に対して隠し立てするような、自分のこんな態度はまったく馬鹿げている。だが、結婚が現実のものとして目前に迫っているにも関わらず、そのことに自分が全く対処できていないことを自覚した。
結婚を止めろと言ったらミッターマイヤーは自分を決して許さないだろう。それでは自分はすべてを押し込めて、ミッターマイヤーの結婚を受け入れるしかないのだ。
ミッターマイヤーは話し続けていた。
「だけど、もちろん披露宴には出てくれよ。俺の子供の頃の友人や、士官学校の仲間を呼ぶつもりだ。それから、エヴァの女学校の同級生がたくさん来てくれるだろう。おまえには贅沢すぎるお嬢さんたちだが、きっとおまえのことを我慢して付き合ってくれるよ」
ロイエンタールが披露宴に現れたら、きっと幼馴染の男どもは自分を恨むだろうと思いつつ、ミッターマイヤーはまた笑った。女の子が我慢してロイエンタールに付きあうなんて最高のジョークだ。
ロイエンタールは微笑んだ。何か言うべきだろうが、何も考えつかなかった。親友の結婚披露宴に出席しないことを伝える婉曲な言い回しなど、あるとは思えなかった。

 

時々会話しつつ上官を待っていたディッタースドルフとアイヒラーは、当の少佐二人が戻って来るのに気付いた。二人とも厳しい顔つきだが、どことなく浮かれた気配を底辺に漂わせていた。
「ディッタースドルフ!」
「はっ」
思いがけず大きな声で呼ばれて、ディッタースドルフは勢いよく立ち上がった。上官は副長に呼びかけておいて、そのまま司令本部の表玄関へさっさと大股で行ってしまった。慌てて後を追って行く。
追いついた副長をロイエンタールは青い方の瞳でちらりと見た。
「今すぐおれたちの艦を見に軍港へ行くぞ。新造の巡航艦だ…!」
「は…、はいっ」
上官が言った『おれたちの―』という言葉はディッタースドルフの身の内をくすぐったくさせた。しかも新造艦だ。初めて聞く上官の明るい声は快く響き、思わずその滑らかな横顔を見つめた。一瞬、青い瞳を囲む目が細められ、笑ったかと思ったらそれは消えてしまった。
「ドックへ向かう道すがら任務について話す。出立までにやらねばならんことがたくさんある。忙しくなるぞ」
張りのある上官の声に、ディッタースドルフはふと気づいて念のため聞いた。
「恐れ入りますが、艦長。パーティーはどうなされますか」
とたんにロイエンタールがぴたりと足を止めたので、副長は危ういところで上官にぶつかりそうになった。上官の後頭部の頭髪に顎を埋めそうになり、とたんに得もいえぬ良い香りが鼻をくすぐった。
ほとんど怒っているといえそうなロイエンタールの顔が副長に振り向いた。目の前に現れた一点の曇りもない輝く色違いの瞳にまともに射抜かれ、ディッタースドルフの心臓が異常なリズムで飛び跳ねた。
「パーティーはやらずばなるまい。だが、おれは今さら叔母を手伝う余裕があるとも思えん。卿もパーティーの準備の手伝いは免除するゆえ、客の名前はぶっつけ本番で臨め」
「承知しました」
500人の上流階級の客の相手をぶっつけ本番で…。それは戦場で敵に立ち向かうより困難を伴う任務のような気がした。

 

ミッターマイヤーもまた、アイヒラー副長を相手にオーディンでの残りの数日間について協議していた。
「結婚式と披露宴は必ずする。エヴァのためにも平服で役場へ行って、書類に署名して終わりにはしたくないんだ。だが、卿には俺たちの艦の準備に専念してほしい」
アイヒラーは笑って両手を振った。
「もちろん、出立の準備は大変忙しくなるでしょう。でも、ぜひ結婚式のお手伝いをさせてください。自分の艦長が花婿になるなんてよくあることではないんですから。それに、エヴァさんに幸せな花嫁になって欲しいですしね」
何回かミッターマイヤー家を訪れて、アイヒラーは上官とその花嫁の人柄に通り一遍以上の好意を持ったのだった。にこやかな表情の副長を見て、ミッターマイヤーは黙って右手を差し出した。
「ありがとう。実を言うと、経験者の卿に手伝ってもらえるととても助かる。俺もエヴァが幸せになれるように万事滞りなく式を挙げたいんだ」
「お任せください」
艦長の率直な言葉に心を動かされたアイヒラーは、艦長の手をぐっと力強く握って握手を返した。

 

新造の巡航艦、ヴィーゲンリート(Wiegenlied)の前でロイエンタールはこの艦の艦長として任命状を読み上げた。副長ディッタースドルフが同席していたのはもちろんだが、その他には航宙士長以下の複数の航宙士たち、機関長と部下たち、通信士官、事務官たちがいたが、肝心の戦闘部門の士官は誰もいなかった。機動部隊としてのワルキューレの一隊と、艦長の護衛及び衛兵として陸戦隊の一隊が派遣されることだけが決まっているのみだ。
現場の兵士たちはすでに十分にそろえられているが、彼らを動かし、ロイエンタール艦長の手足となるべき士官はこれから出立までの間にそろえなくてはならない。
その部下となる士官のうち、司令本部から5人の候補がリストアップされていた。ゆっくり面接している暇はないのだから、選ぶまでもなくその5人をすべて搭乗させることになるだろう。ありがたいことに不足があれば補充に応じるとのお達しだ。軍人余りが深刻だから出来ることなら過剰人員になると分かっていても、宇宙に放り出してしまいたいのだろう。だが今回に限っては、追加で乗り組みの士官を要求する必要がありそうだ。
「ようやく艦長が任命されることになり、ほっとしました」
いかにも宇宙船乗りといった逞しい風貌の赤ら顔の航宙士長が、艦長に向かって大きな声で率直に言った。彼は自分の部下を一人ひとり紹介した。残念ながらインフルエンザで寝込んでいる者が一人いるが、出立までには治ると言い張っているらしい。ロイエンタールはその士官が8日目に完治していなければ置いて行くと宣言した。
とうとうあと数日のうちに出立すると決まったことで、艦内は急ピッチで整備や確認に追われていた。本来なら艦長を出迎えるにもそれなりの儀式が伴うが、ロイエンタールはそんなファンファーレ付きで搭乗して乗員を長時間無駄に拘束するつもりはなかった。簡単なあいさつの後、宇宙に出て時間が出来た時にそれぞれの人員と交流したいと述べると、各部門の長以外は解散させた。
それぞれの部門長と共に各部署へ赴いて説明を受け、満足するとその部署の長はその場に置いて任務に戻らせ、艦長は他の者を引き連れて次の部署へと移動して行った。ロイエンタールが艦橋の艦長席に辿り着いた時、側にいるのは副長のディッタースドルフだけとなった。
ディッタースドルフはロイエンタール艦長が部下たちに質問するのを聞いて、上官には実戦経験も知識も十分にあるらしいと分かって少しほっとしていた。貴族出身の艦長の中にはいったいどうやって今まで戦闘をくぐり抜けてきたか、そもそも士官学校はどのようにして卒業したのか、不思議としか思えぬほど何も知らない者もいるのだ。それらの艦長たちは完全に周囲に頼り切るしかなく、部下にとっては心身ともに大きな負担になる。
出立まであと10日。厳密には9日目にはもう自分たちの艦をオーディン軌道上まで上げなくてはならない。とすると残りの準備期間は8日。ディッタースドルフは今日から艦に寝泊まりすることを自分の艦長に伝えた。
艦長はそれに頷くと、艦内モニタを通して次々と各部署へ通信を入れた。
「航宙士長、ロイエンタールだ。通信の確認をする。問題ないか」
『はっ、良く聞こえます。モニタも問題ありません』
「結構。邪魔したな」
『いえ、とんでもございません』
そのようにして艦の動力部から格納庫の主任に至るまで通信をつづけた。皆、艦長から直接の通信を受けて一様に驚いていた。これから航海中に同様のことがあり得るかもしれないのだと思われた。それはいいことか、悪いことか、ディッタースドルフには現在のところ図りかねた。
―実際のところ、現場としてはしょっちゅう呼び出されてはかなわんと思うだろうが、艦長が隅々まで目を光らせていると理解するのは悪くない。
それが単なるジェスチャーではなく、実質を伴ったものであればこの上官は怖い艦長になる。
ロイエンタールは満足したか、モニタを通常モードに切り替えると、茶飲み話でもあるかのようにさり気ない口調で副長に伝えた。
「この巡航艦には新型の兵器が積まれている。そのため艦長の選定に時間がかかったようだな。とにかくそういう説明だった。新型兵器の試し撃ちのデータを残すとともに、その新しいおもちゃをひっさげて、ミッターマイヤーの艦、ディソナンツ(Dissonanz)と共にある前線基地に向かうことになるだろう」
「ある前線基地とは…」
「オーディン軌道上に出てから命令書を開き、その指示の行き先へ向かうことになる。いずれへ向かえと言う命令なのか、神ならぬ司令本部のみぞ知るところだ」
ディッタースドルフはその言葉に背筋が伸びるのを覚えた。出立後まで目的地が秘密の任務とは即ち、何らかの機密が漏れることを恐れてのことなのだ。それは彼らが出立すること自体が問題なのか、この艦が新造艦ゆえのことなのか、またはその新型兵器とやらのせいなのか?
考え込んでいささか緊張の見える副長の表情を見て、ロイエンタールは続けた。
「如何なる命令であろうとも、行けと言われたところに行くまでだ。そのために卿は副長として万全の準備を怠らぬように」
「…はっ、無論です」

 

副長を艦内に残してロイエンタールはただ一人、艦を下りた。とたんに端末が通信を受けとって呼び出し音が鳴った。
『ロイエンタール、忙しいところすまん。ちょっと連絡しておこうと思って』
「かまわん。おれの方は市内で用事があっていったん戻るのだが、お前はどうする?」
『俺も一度戻る予定だがまたすぐ艦に引き返すことになりそうだ。お前のところもそうだろうが、いろいろ片付いていないことが多すぎる』
「そうだな…」
苦笑すると、モニタの向こうでミッターマイヤーもにやっと笑った。
『その筆頭はエヴァと結婚することだけどな。後のことはなんとでもなるつもりさ』
「ミッターマイヤー艦長はありがたい任務をおろそかに考えているらしいな」
軽い調子ではあるが皮肉交じりの親友の言葉にミッターマイヤーは肩をすくめた。
『それはそうと、今回の任務についてお前としっかり話し合っておきたいんだがな。実のところ、あの貰った酒を飲みながら話す機会があればとおもったのだが、ひとまず今日は無理だ』
ロイエンタールは頷いた。
「任務については予定を確認して副長も交えて話す必要がありそうだな」
『ああ、その通りだな。早々に話し合いの場を設けよう。じゃあな、俺もこれから急いでエヴァに会いに行って、状況を教えてあげないと。きっと心配してる』
そう言ってミッターマイヤーは通信を切った。去り際の言葉が余計だとロイエンタールは思った。

 

 

 

 

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