Season of Mackerel Sky
前奏曲
14、
「我々を中に入れられぬとはどういうことか。きさまは我々の軍服の徽章が見えぬのか」
執事は怒りと恐れを抑え込んで相手の若者を見た。その男は顔全体を覆う仮面をしており、辛うじて目だけが見えた。確かにこの男や後ろにいる複数の男たちは軍服を着ているが、声や姿かたちから察するにかなり若く、とても自分の主のような本当の軍人には見えなかった。
「恐れ入りますが、このパーティーはご招待差し上げた方たちのみ、お入りいただいております。どうぞお引き取りいただきたく存じます」
目の前の男が佩用の剣の柄に手を掛けた。
「きさま、たかが召使の分際で、われらを門前払いに出来ると思うのか」
「いいさ、そんなつまらん奴には構わず入ろう。かわいい女の子がたくさんいるのを見たぞ」
後ろからけしかけられて、男は手を剣から離し笑った。「残念だな、こいつと剣のダンスを踊っても良かったがな」
軍服を着た無法者たちは玄関ホールに足を踏み込んだ。
「どうぞお引き取りください! 社交におけるマナーと節度をお守りください!」
「我ら高貴な者たちを歓迎するのが貴様らのマナーだ!」
執事はドンと胸をつかれて後ろにたたらを踏んだ。クローゼットに倒れ込んで執事は扉の取っ手に気づき、中から大きな蝙蝠傘を取り出して若者たちに突き出した。大きく開かれた玄関をふさぐ軍服の若者たちは、その様子を見てゲラゲラと笑った。
「こいつめ、我々に歯向かう気と見える!」
「貴様がその気ならまず先に遊んでやるか!」
若者の一人が剣を抜こうとしたが、剣が鞘に引っかかり抜けなかった。周囲の仲間が嘲笑う中、「くそっ!」、と叫んで半ば鞘から剣を出したまま手を離すと、若者は懐からブラスターを取り出し、撃とうとした。
だがそこにシャンパンが入ったグラスが飛んできて、若者の顔に直撃した。
若者が「ギャッ」と言ってブラスターがその手から落ちた。執事はブラスターが暴発するかとはっとしたが、何も起こらなかった。
「卿らは何者だ。何しに来た」
ロイエンタールが冷ややかな目で若者たちをじろりと眺め渡した。どの者たちも軍服を着ており、まるで仮面舞踏会に出席するかのような仮面で顔を覆っている。大将に、中将、大佐の軍服だらけだが、そのうちいくつが本物の軍服か? あるいはどれも本物同様に仕立てたもので、いくつかは父親のもの、いくつかは本人たちのものかもしれなかった。
「無礼であろう! 貴様はぬけぬけと我々に何者かと問うのか! 我々の軍服を見てわからんのか!」
「卿がいずれの軍の大将閣下のつもりか知らぬが、仮面で顔を隠していることから察するに、本来着用するべきでないものが着用しているのだろう。どこの誰とも知れぬ馬の骨に対する礼など持ち合わせておらん」
「馬の骨だと…!」
「たかが少佐の分際で、我らを愚弄するか…!!」
近くにいた中将の軍服がロイエンタールに腕を振り上げた。馬鹿げたことに型も何もない隙だらけで、ロイエンタールはその若者の柔らかそうな腹に重い軍靴で鋭い蹴りを入れた。
中将が「ぐうっ」、と唸って二つ折りにしゃがみこんだので、周りの若者たちがいきり立った。
「貴様、やるつもりか!? 我らは貴様の上官だぞ!!」
「上官…? 貴様らこそぬけぬけと私の上官だとぬかすのか。私の上官に卿らのような愚か者の腰抜けはおらん。卿らが私と同じ軍に所属する者だとはとても思えぬ」
ロイエンタールは転がったブラスターを取り上げ、安全装置が固くかかっているのを確かめると鼻で笑って懐に収めた。執事を後ろに下がらせて、自分は大きく歩を踏んで彼らの前に出た。
「貴様らは素顔も晒せぬ間抜け面の騙りで、一人では行動できぬほどの軟弱者の集まりだ。そいつらが徒党を組んで、恐れ入ったふりをしてくれる従順な人々を探して、夜の街をさまよい歩いているのだろう。哀れなやつらだな」
「な、な、なんだと…!」
痛烈なロイエンタールの言葉に、若者たちは反撃する語彙を持たないようだった。自分たちに反抗する者などめったにいないため、いざそのような者が現れるとどのように対応するべきか分からないのだ。どの若者も口を大きく開いてパクパクして、手を振り回すばかりだった。
ようやく、一人が愚かな暴漢のお決まりの台詞を吐き出した。
「やっちまえ、こやつは一人だ…!」
まともに剣を抜くことが出来た少将の軍服が大きく剣を振りかぶって迫った。だが、そこにワインのボトルが飛んできて、がら空きの胴にまともにぶつかった。若者がまた一人、「ぐわっ」と言って、二つ折りにしゃがみこんだ。
「ロイエンタール、何を遊んでいるんだ。お客が待っているぞ」
ミッターマイヤーが首を振り振りロイエンタールに歩み寄り、嫌悪感に満ちた表情で仮面の男たちを見渡した。
「しかも、たちの悪い遊び相手だ」
「こいつらがどうしてもと言うんでな。暇つぶしにもならん、たいして面白い相手でもないが」
呆れたと言いたげにミッターマイヤーはロイエンタールの肩を小突いた。
「そんな奴らケツでも叩いて、早いとこムッターの胸まで追っ払っちまえ。」
「ああ、蹴とばそうにも臭いから近寄りたくなくてな」
「まだ乳離れ前なんだよ」
「違う、こいつらのケツはオムツ臭い」
ミッターマイヤーが噴き出した。
大将の軍服が指を震わせてロイエンタールに突き出した。
「き、貴様ら、言わ…っ、言わせておけば…! 聞けよ、私は恐れ多くも…!!」
「おい、やめておけ」
ロイエンタールがいつの間にか抜いたサーベルを男の前に擬した。輝く切っ先を鼻先にひんやりと感じて、若者は口を開いたまま言葉を飲んだ。
「その恐れ多いお方の名前を出したところで、おれたちが貴様らを中に入れると思っているのか? それで、そうなったらその後どうする? 今度はムッターの名前でも出すか?」
若者たちは悲鳴のような怒号を上げた。
「やっちまえ!」、「そうだ、かような奴ら恐るるに足らず!」、その中に「僕のムッティーを辱めるか!」という叫びがあったのはご愛敬だった。
総勢10人近くの恐れ知らずの若者たちが二人の少佐に襲い掛かった。ロイエンタールとミッターマイヤーはゆったりと身構えもせずに気軽に立ち、にやりと顔を見合わせた。
振り回し方も知らぬくせに、剣を手に若者たちは二人に飛び掛かっていった。庶民の玄関先とは違えど、狭い場所で乱戦状態の時に剣を振るう愚を知るミッターマイヤーは、ロイエンタールと背中を合わせたまま、ブラスターを短剣代わりに応戦した。集団の戦い方など知らぬ貴族の悪ガキどもにはそれで十分だった。ロイエンタールも剣先で軽くあしらって、何本も剣を相手の手から弾き飛ばした。
得物をなくした若者たちはおろおろとまだ武器を手にしている者たちを眺めていたが、ようやく意を決し、素手で少佐たちに飛び掛かって行こうとした。
そこに大きな影が差して、若者の一人を腰から絡げて投げ飛ばした。
「艦長! 援護します!」
「手出しは無用だぞ、ディッタースドルフ!!」
ディッタースドルフは笑えて、笑えて仕方なかった。くさいケツか…!!
「残念ながら! 艦長の援護をするのが私の務めですのでね!」
剣を持つ者は艦長二人に任せて、ディッタースドルフは向かってくるもの、怯むもの、誰彼構わず玄関の外へ投げ飛ばし、蹴とばした。
「副長、俺らにもお楽しみを残しておいてくださいよ!」
「ミッターマイヤー艦長、われわれも加勢します!」
続々と帝国軍の若い士官が現れて、彼らの艦長や副長にヤジを飛ばした。極めつけは二つの艦所属のワルキューレの隊長二人と、各艦長の護衛のはずの陸戦隊の隊長たちだった。この4人の軍人たちは艦長よりも年配で、これぞ軍人の鑑というべき立派な押し出しだった。
「艦長、こいつらまとめて営倉にぶち込んで、宇宙に捨ててきましょう」
「大将閣下を騙るとは軍法会議ものですな」
大将閣下の軍服の若者の仮面が外れそうになり、「くそっ」と言って、顔を押さえて玄関の方へ後退して行った。すでにディッタースドルフによって放り出された者たちは、腰や頭をさすりつつ、本物の栄えある軍人たちに気おされるように後退して行った。
そこにファンファーレのように高らかに女性の声が叫んだ。
「オスカー! ケンカはお止め! 憲兵が来るわ!! 早く隠れて!!」
『憲兵』の言葉が若者たちの背を押した。慌てて立ち上がって、なぜか玄関前を徐行して通りへ向かおうとしていた地上車を追いかけ、飛び乗った。
「覚えてろよ!」、とお決まりの捨て台詞を残して、一人も取りこぼさずに地上車で引き上げて行った。
若者たちが慌てて通りへ飛び出して行った後に、仮面が一つ転がっていた。
少佐二人は互いに顔を見合わせた。外から戻って来た執事がすでにいつも通りの謹厳な顔をしているのを見て、ロイエンタールは声をかけた。
「あの地上車はどこへ向かったんだ」
「軍務省でございます、旦那様」
澄まして答える執事の顔をまじまじと見つめ、呆れて言った。
「もうこの時間では誰もおらんだろう」
「そうだとしましたら大変残念なことでございます。最近、軍務省のお役人の方が文民は軍服を着用すべきでないと苦言を述べた、とのニュースを見ましたものですから」
士官たちも互いに顔を見合わせていた。誰かがぷっと噴き出して、彼らは声を合わせて笑い出した。
「見たかあの、へっぴり腰で地上車に乗ったところを!」
「艦長、鮮やかにやってくれましたな」
「さっきの艦長の台詞…!」
士官たちはワイワイと艦長を囲んで互いに肩を叩いて騒いだ。ことにディッタースドルフは腹を抱えて、「くさいケツ…、くさいケツ…!」と何度も繰り返して笑った。
客たちは人垣を作って広間から扉に隠れるようにして玄関ホールをのぞき込んでいた。ドレスの後ろを盛んに夫にひっぱられながら、人垣の一番前に身を乗り出していたコルネリアが、オスカーに叫んだ。
「もう私たち、心配しなくていいかしら?」
叔母の声に甥は手を胸に当て、足を引いた宮廷式のお辞儀をした。
「お騒がせしました。どうぞご安心を」
客たちはまだ不安そうにしていたが、ほっと一息ついてさかんにしゃべりだした。これだけの多数の軍人、しかも腕利きの―が揃っているのだから、ひとまずは安心と言ったところだ。
叔母の横からマールバッハ伯爵が顔を出した。
「ロイエンタール、本当に憲兵を呼んだほうが良くはあるまいか。あれは真にどこかの貴族の子弟に違いない。いかなる特権に与る身であろうとも、あのような無法は取り締まるべきであろう」
伯爵の言葉を聞いて、近くにいた者たちは顔を見合わせて黙り込んだ。
コルネリアは士官たちの間をすり抜けて前に出ると、オスカーとミッターマイヤーの顔を覗き込んだ。
「二人とも、もし、あのお馬鹿さんたちが誰かの名前を出したらどうするつもりだったの?」
「自分は誰か大貴族の甥だとでも言ったら、実際どうしたでしょうね」
オスカーが肩をすくめて答えたので、周囲の者は皆、青くなった。
「ですが、奥様。そう言わせる前にああやって乱闘に持ち込むことが出来たのですから」
「また何か言ってくるんじゃないかしら?」
真面目な表情を保ったままであったが、ミッターマイヤーが笑みをその声に忍ばせて、安心させるように言った。
「名乗りもせずに喧嘩をし、尻尾を巻いて逃げたのですから、こうなった以上、実は誰彼の身内だったと言い出して恥の上塗りをすることはないでしょう」
だがその後、コルネリアや親族の者たちから聞こえないところで、士官たちの背中を盾にミッターマイヤーが言った。
「ロイエンタール、フラウ・アンシュッツにはああは言ったが、あまり安心できる状況でもなさそうだな。俺たちは先ほどの奴らを知らんが、奴らの方は俺たちの顔を知っている」
ロイエンタールは頷いた。
「さすがにあの中に大将閣下はおらんだろうが、実際に大佐、少将辺りの位を持つ者はいたかもしれんな。軍功があってのことではなく、単に大貴族の身内だと言うだけで与えられた地位だ。顔を隠したクズどもには値しない地位だが」
「そのクズどもと同じ艦隊で戦うことになったとしたら、ぞっとしないな」
ミッターマイヤーは首を振って苦笑した。
「いや、すまん、ロイエンタール。今このようなことを言っても益がないことだな。先ほどのことはあれ以上、上手くやれたとは思えん」
「へこへこして奴らをパーティーに招くか、金でも握らせてお引き取り願う方が賢いやり方だったな」
冷笑を浮かべてロイエンタールがちらりと広間の方を見た。だが、ミッターマイヤーは厳しい表情のまま、親友に首を振った。
「そういう言い方をするな。おまえはたとえ後々面倒を引き起こすと分かっていても、誇りを売り飛ばすような真似は出来ん男だ。おまえが選んだのは簡単な道ではない。だが間違ってはいない。それで十分だ」
腕組みして階段の手すりに寄りかかり、自堕落な風を装っていたロイエンタールはミッターマイヤーの言葉に背筋を伸ばした。組んでいた腕を外してまっすぐに立って、じっと親友の顔を見た。
やがて、不意に親友を抱きしめてその背中を叩いた。
「おまえの言葉はいつもおれを驚かせるな。だが、ありがとう」
面映ゆそうにミッターマイヤーは親友の抱擁を受けた。彼も親友の背中をバンバンと叩き、親友の肩から顔を出して周囲を見た。
彼の副長や士官たち、ロイエンタールの副長他の部下たちも、艦長二人を当たり前の風景を見るように、和やかな視線で見守っていた。戦の興奮冷めやらぬ時、戦友たちが感極まって互いに笑ったり、泣いたり、抱擁したりするのを見ている時と同じだった。