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共に歩いて

後篇

 

そう言って、新たな人物は大佐の手から指輪がぶら下がった鎖を取り上げた。

「ファーレンハイト! 卿には関係ないことだ。邪魔はしないでもらおうか」

「関係おおありだ。食事をおごってくれると俺を連れ出しておいて、こんな衆人環視の中で騒ぎを起こすとはな。せめて支払いが終わってからにしてくれ」

少し毒気を抜かれた形の大佐は「し、支払いはするから、席に戻って勝手に食べてくれ。私のことは放っておいてくれないか」と答えた。

「そうもいかん」

ファーレンハイトはゾフィーに向き直ると、指輪を掲げて問いかけた。

「よろしいかなフロイライン。この場は私に預からせてもらえますか」

「でも、ファーレンハイト大佐。それは本当に私のものなんです。だから、大佐は安心してそれを私にお返しになって、お食事に戻ってくださいな」

ファーレンハイトは困った顔をして彼女を見た。

「しかし、エンゲルスは自分のものだと言い張っているし…。まさか、あなたが本当に盗みを働くなどと、思いたくないのですが…。」

「本当にどちらかが相手のものを盗んだか、あるいは同じものが2つあるか、どちらかでしょう」

周囲のものがハッとして声がした方を振り向いた。ファーレンハイトはロイエンタールの方を見て、驚いて目を見張る。噂には聞いていたが、その稀有な瞳を初めて間近で見たのだ。

「先祖伝来の品が2つとあるか!!」

「ひどい、オスカー、私が泥棒したと言いたいの!?」

ファーレンハイトは困って、何となくすがるような思いで二色の瞳の持ち主を見た。

「二人ともそれほど大事なものなら、それぞれの指輪の特徴をはっきり言うことが出来るでしょう。どうですかエンゲルス大佐」

エンゲルス大佐は胸を張って答えた。

「当たり前だ。これを持つことは我が家にとって栄誉ある習わし。どのような特徴かよく知っている」

「ゾフィーはどうだ?」

まるで恋人ではなく判事が声をかけるような声音だったが、ゾフィーはひるまず答えた。

「バンドはプラチナ、ゴールドのメッキ。オーバル・ブリリアントカットのアメジスト。周りを小さなダイヤが囲んでいるの。ダイヤは価値があるものではないわ。父が持っていたころすでにアンティークだと言われたからデザインは古いけど、傷もないし、何より思い出があるの」

「確かに男ものだな。バンドも太いし」

ファーレンハイトが目の高さに鎖をぶら下げる。それはゆらゆら揺れて、紫色の光を周囲にはなった。

「プラチナは希少な金属だったな。アメジストも大きい粒だ。とはいえ、それほど高価なものとも見えないが…」

「それはそうよ。うちは家系は古いけどお貴族様が持つようなものは持ってないもの」

なぜか高価ではないゆえに価値があるような口ぶりでゾフィーが胸を張って答えた。

「高価なものでないのは我が家は昔困窮していたが、その後身を興した祖先が、苦しかった時代をしのぶために造らせたものだからだ」

ファーレンハイトは目をしばたいて友人を見た。

「いや、まさかエンゲルス…」

「卿は友人の言葉を信じぬのか」

「だがなあ…」

ロイエンタールが言う。

「それで?」

「残念ながらプラチナではない、シルバーのゴールドメッキ。そのためバンドは少し濁った色をしている。宝石のカットの仕方は詳しくないが、楕円形をしているのは確かだ。アメジストの表面には、何代前かの困った先祖が付けた、小さい傷がある。Rの形をしている」

「へえ、それははっきりしているな…」

相変わらず手から鎖をぶら下げていたファーレンハイトが、ぶらぶらしていた指輪を手に持って目に近付ける。

「何もないぞ」

「何をいうんだ! よく見てくれ!! ほら、明かりが足りんからよく見えないのであろう!」

エンゲルスがファーレンハイトにつかみかかろうとしたので、彼は迷惑そうに避けて、指輪をよく見ようと天井のシャンデリアにかざす。光が反射してますます見えづらくなった。

「お待ちください。そんなあるかないか、分からない傷を探すより、もっと分かりやすい方法があります」

 

ゾフィーが勝ち誇るように高い声で言い放ったので、周囲はみな、彼女に視線を集中させた。ファーレンハイトは右手でぶらぶらする指輪をしっかり握った。

「それは何だ、ゾフィー」

ロイエンタールが聞く。

「バンドの内側に文字が彫ってあります」

「私の指輪にも彫ってある!! その文字は…」

「待て!! エンゲルス、ゾフィーの言葉が先だ」

ゾフィーは答えたが、その場のものは周囲の客も含めて、誰もその言葉を理解できなかった。

「ゾフィー、それはこの地上の言葉なのか?」

ファーレンハイトがまだ指輪を握ったまま、困った顔で問いかける。

「ごめんなさい。私も意味は分からないけど、これが父から習った読み方なんです。父もそのまた父もよく分からなかったみたい」

「エンゲルス大佐はなんという文字が彫ってあるのですか」

ロイエンタールが聞くと、大佐はこわばった表情で答えた。

「我が家名のエンゲルスが紋章と共に彫ってある」

ファーレンハイトはほっとして頷いた。

「これは明らかだな。エンゲルスと彫ってあれば卿のもの、そうでなければゾフィーのものだ」

しんと静かになった室内をファーレンハイトが見渡すと、部屋中の者が期待に満ちて彼の方を見ていた。隅に立っているエーゲルら店の者も同様だ。

彼はそっと手を開いて指輪をかざした。そしてほうっと息をつくとゾフィーの方を向いて手を差し出した。

「フロイライン、間違いなくこちらの指輪はあなたのものです」

わあっ、とレストラン中の者がため息をついて、なぜか一斉に拍手が沸き起こった。ゾフィーが涙ぐんで指輪を胸に抱きしめる。

「そんなはずはない、そんな…」

「もうよせ、エンゲルス。あの指輪はもうあきらめろ」

「卿は私が嘘つきだと言いたいのか」

「違うとしたら、そこの彼が先ほど言った通り、2つあるのさ。卿はきっとどこかでなくしてしまったのだろう」

「そうなんだ、この女が私の部屋に来た後、次の日には無くなっていて、だから…」

ファーレンハイトが大きく咳払いをしたので、エンゲルスは口をつぐんだ。確かに良家のご婦人方がいる席で話すようなことではなかったが、よき婦人たちはすべて聞いていた。

「しかし、そうだとしても不思議なことだ。ゾフィー、そのバンドの言葉をもう一度教えてくれないか」

ゾフィーは笑って答えた。

 

 ―WALKBESIDEME/BEMYFRIENDJUST 

 

「子供のまじないみたいだな」

「私は子供の頃、まさにそう思っていましたわ。この秘密の言葉を唱えるとお姫様に変身するんですの」

ゾフィーが笑った様子がむしろ無邪気だったので、彼女を忌々しく感じていた女性たちも、自分の子供のころを思って微笑んだ。

「妖精の言葉か…。フロイラインの祖先は我々とは別の言語を話したのかもしれませんね」

その言葉にロイエンタールがさっと顔をあげて、ゾフィーに言った。

「その指輪の文字のスペルを言ってもらえるか」

「え、ええ。言いますわよ。ヴェー、アー、エル、カー、ベー、エー、…」

ゾフィーは指輪を見ずにすらすらと言った。彼女が言うように子供のころから慣れ親しんだ証拠のように周囲には感じた。ファーレンハイトが感心したように言った。

「普通のアルファベートを使っているのだな。帝国語の仲間なのは違いないな」

「確かに仲間だ。この言葉は古代、地球時代に帝国語から派生したと聞いている。帝国語に馴染んでしまったゾフィーのご先祖は、始まりのアルファベートがどの文字か、どこで切るかも分からなくなってしまったのだな」

「何の言葉か知っているのか?」

ファーレンハイトの問いかけにロイエンタールが微笑んで頷いた。周りの者は皆、その微笑みを見て赤くなり、彼の目をうっとりと見つめた。

「それで意味は分かるのか」

なぜか自分の頬が赤くなるのを感じつつ、ファーレンハイトは聞いた。

「それはもとは『J』ヨットから始まり、こう言っていたのだと思う。

 

JUST WALK BESIDE ME/BE MY FRIEND

 

スラッシュはANDの代わりだろう。文字が入りきらなかったのだろうな」

その場の者はみな、あっと言った。ロイエンタールの見事な発音を聞いて、素養のある者で聞きとれない者はいなかった。

「同盟語だ!!」

ゾフィーがびっくりして、火傷すると言わんばかりに手の中から鎖を垂らしたので、指輪がぶら下がった。

「ど、同盟語?」

「どうめ…叛乱軍の先祖の者たちが使っていた言葉が、ゾフィーの先祖が住む地域でも使われていたのだろう。この指輪はかなり古いものだから、先祖のことで気にすることはない」

ファーレンハイトが安心させた。ともかく、彼はこの場にいる軍人では最高位の存在だったから、みな納得した。

「そ、それで、オスカー。彼らの言葉でそれは何と書いてあるの?」

まるで本当に呪いがかかっているかのように、ゾフィーは気味悪げに鎖から揺れている指輪を見た。

「ただ私のそばを共に歩き、友達でいて」

ロイエンタールが静かな声で言ったので、ゾフィーは指輪を手元に引き戻した。

「いい言葉ね」

「友情のあかしに、ご先祖が親友から贈られた指輪かもしれないな」

「いえ、奥さんや恋人の女性から贈られたのだとしても不思議ではないわ。女だって愛する人に寄り添って歩いて、その人の心の支えでありたいと思うもの」

ファーレンハイトが感心したようにゾフィーに対して頷いた。

「なるほど、愛情が込められた品であるのは間違いないな。それが長い年月の間、読み方も分からなかったものが、今夜ついに明かされたか」

彼は何かよからぬことを言いたげな、―おそらく叛乱軍に関する言葉だと思うが―、エンゲルスの腹を肘でつついて、これ以上恥をかかないようにした。彼は自分たちの席に戻りながら、これはエンゲルスにとっては忘れることにした方がいいことなのだ、と考えた。

彼、ファーレンハイトにとっては忘れられない夜になりそうだった。

 

その後恋人たちが、大尉の官舎の部屋とは比べ物にならない、広々としたゾフィーの部屋へ戻ると、ロイエンタールはゾフィーに向かって手を差し出した。

「なあに、オスカー」

「しらばっくれるな、エンゲルス大佐の指輪。当然手元に持っているのだろう」

ゾフィーは酔いがさめたような目をして、恨めしげに恋人を見つめた。

「まあ、信じられない。なぜわかったの?」

「あの大佐の言葉は嘘にしては真に迫っていた。彼が人格者だとも思えんが、指輪のことに関しては嘘をついているとは思えなかった。空涙など流して、お前の演技もなかなかのものだったがな」

「あなたのその目はただの綺麗なガラス玉じゃなくて、何もかもお見通しなのね」

ゾフィーは寝室に入って宝石箱を持ってくると、再びネックレスに付けなおした指輪と、(プラチナの鎖は、ロイエンタールが食事の後、宝石店で買ってやった)、そっくり同じものをとりだした。

彼は二つを並べて見比べたが、とたんに笑いだした。

「本当にまったく一緒だ」

「そうでしょう。最初大佐がこれをしているのを見た時、私の方こそ、大佐が私の指輪を盗んだんだと思ってびっくりしたもの。でも、私の指輪はちゃんと宝石箱に入っていて…。これは大佐に復讐するチャンスだな、とピーンと来たのよ」

貴族と夜の女―。よくある話だが、エンゲルス大佐はゾフィーの妹分を妊娠させたくせに、家名が汚れると言って見捨てた。ゾフィーは自殺してしまった妹分のその子どもを引き取って、育てているのだった。一緒には暮らせないが、似たような子供たちが暮らす家に預けて、十分すぎるほどの寄付をしていた。彼と会っていない時はいつもこの家に入り浸って子供たちの相手をしていた。

「それにしてもこれほど似ているなんて不思議だわ。昔、同じデザインから作られて、そのうち2つが偶然出会ったのかしらね」

「アメジストならそれほど高価でもないしな。当時、人気のブランドか何かが大量生産したものかもしれん。かつてはお偉い貴族とお前のご先祖は親友同士だったのかもな」

「まあ、やめて、とんでもないわ」

ゾフィーは大佐を誘惑した後で、新たな恋人に乗り換えて見せた。それでちょっとした復讐をしたつもりだったが、この指輪のおかげで、もっと効果的な方法を思いついたのだった。

「エンゲルス大佐もこれで少しは恥を知ったでしょう。平民の女とみると自分の好きにしていい、馬鹿にしてもかまわないと思っているのだから」

「しかし、彼から盗んだことに違いはないな」

ゾフィーはつんと鼻を上に向けてそっぽを向いた。

「まあ、あなたが道徳家みたいなことを言うなんて。それならあなたが大佐に指輪を返したらいいわ。きっと大喜びで感謝してくれるわよ。一部の軍人にとってはあなたもずいぶん人気があるのを私だって知っているんだから」

「おれがそんなことするか、馬鹿馬鹿しい。それより、このままでは大佐はただ勘違いしたというだけで終わるだろう。」

「どういうこと?」

「中途半端では復讐にならないということだ」

 

ある風の強い寒い日、誰もが久々にコートをクローゼットから引っ張り出した。その日もまた、ファーレンハイトはエンゲルスから飲む誘いを受け、仲間と共にいそいそと士官クラブに繰り出した。このエンゲルスのいいところは、彼がおごると言った時は誘われた方は遠慮するとかえって怒ることだ。貴族の鷹揚さを見せつけるには、クラブで奢るくらいは彼にとっては安い買い物なのだった。ファーレンハイトと仲間はありがたく、今夜も彼を気持ちよく奢らせた。

夜も更けてそろそろお開きの時間となり、彼らはクローゼットからそれぞれコートを取り出しはおる。彼らに着せかけるのを手伝っていた従業員が、あっと言って、床にかがみこんだ。

「どうした?」

「エンゲルス大佐様のお召し物から、何か落ちまして…」

エンゲルスとファーレンハイト、仲間たちがクラブの玄関の明かりの中に立って、従業員の手の中を見ると、エンゲルスが自分のものだと言っていたアメジストの指輪そのものがそこにあった。

エンゲルスは振られた腹いせに、自分の過失で紛失した指輪をゾフィーが盗ったと言って泥棒呼ばわりし、彼女を侮辱しようとしたが、かえって彼女の恋人のロイエンタール大尉に看破された。士官らしくないしわざだと噂され、当地の女性たちに心を配っているゼンネボーゲン中将の不興を買った。しかもしばらくはどこの店に行っても冷たくあしらわれた。

 

ゾフィーとロイエンタール大尉は1か月よりは長く交際したようである。

 

ENDE

 

 

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