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冬のあいさつ

帝国の女性たちは甘いものが大好きである。実は男たちもまた甘いものが大好きである。ここ、オーディンの高級ブランド店が立ち並ぶ地区には、170年の歴史を誇る老舗のチョコレート店『ブロムベルク』がある。代々受け継がれた製法を守りつつも、現代的なセンスを加味した数々のチョコレート菓子は、彼女へのプレゼントにする恋人、母親への贈り物にする息子、慰労をこめて秘書に贈る企業人、あるいは『自分へのご褒美』と称してたった一粒のトリュフチョコを買い求める職業婦人などにより、あらゆる用途に購われてきた。

チョコレート職人だった初代の店主はかつて、店内のチョコレートをすべて買い占めようとしたさる貴族の奥方に、自分のチョコレートは少しずつ大事に食べていただける人々のためにある、と言って断固として一度に一片以上は売らなかったとか。

今も当時の製法のままに作られた大きく薄い板チョコは、現当主でやはりチョコレート職人の妻、フラウ・ブロムベルクが10グラムからの量り売りで客の好みの分量を、手で割って売る。

そのようにして一人の女性客がうれしそうに40グラムほどのチョコレートを買い求めて、振り返ると、彼女のすぐ後ろに軍服を着た男性客がいたので驚いた。もちろん、この店には男性も多く訪れるので、彼女が驚いたのはそのせいではなかった。

彼女はまだどのチョコをどれだけ買うべきか悩んでいた友人を脇に引っ張って行った。

「ちょっとあたしまだ考えてるのよ!」

彼女の友人は小声ながら興奮して言う。

「なんでもいいから聞いてよ! あそこにいる軍服の方見て! 見ないと一生後悔するわよ! だめ! さりげなく見てっ」

陳列されたトリュフチョコを選ぶふりをして友人がさりげなく見ると、日頃、新聞の社交欄をにぎわせているオスカー・フォン・ロイエンタール提督が腕組みして、他の客同様、どのチョコを買うべきか悩んでいた。

その頃にはこの人物に気付いた人々(主に女性)によって、店内は静かな興奮に包まれつつあった。いち早くこの帝国騎士の存在に気づいていたフラウ・ブロムベルクは、人々の熱気のせいで急に暑くなった店内でチョコが溶けるのではないかと心配し、店員に暖房の温度を下げさせた。

ロイエンタールは退勤後、飲みに行く途中でたまたまこのチョコレート店に気付き、のぞいてみる気になったのだった。今月の彼女とこのあたりを歩いていた時、彼女がこの店のチョコレートが大好きで、時々一番食べたい種類のチョコを一片だけ買うのだと話していた。ずいぶん控えめなことだ、少し多めに買って贈ってやったら喜ぶだろう。この店のドアを開けた時は軽い気持ちでそう考えたのだった。

だが、フラウが客の求めに応じて薄い板チョコを、パキン、パキンと折り欠くのを見ているうちに、チョコレートを贈るということが非常に親密な行為に感じられ始めた。帝国では男女にかかわらずチョコレートを食べるし、よく贈り合う。それにもかかわらず、彼女に贈るのは、贈る相手を間違っているように感じた。

なぜだろうか? 今、物理的に一番親密な相手とはその彼女に違いなかった。だが、それよりももっと精神的な親密さがある人に贈りたい。

彼はそのように筋道立てて考えたわけではなかったが、本当に彼女に贈るのか? と考えているうちに、部下や自分の幕僚たち、自宅の執事などの顔が浮かんできた。

親友のミッターマイヤーについても考えてみたが、彼に贈るのはまた違うようであった。それに冬が始まってすぐに親友にふさわしいワインを探しだし、すでに贈る手はずになっている。いずれにしても、チョコレートのような食べ物はおそらく夫人と一緒に食べようとするだろう。

季節はすでに年の瀬で、帝国の習わしに従うならば、彼も身近な者や部下などに贈り物をする必要があるのだった。彼はたいがいの貴族的な帝国の風習などは無視しているが、この贈り物は日ごろ、世話になっている人々への感謝の気持ちを込めて贈ることになっている。ゆえに、この時期に地上にいる時はなるべくその習わしに従うようにしているのだった。

ロイエンタールは決心した。よし、あいつらにたくさん買って行ってやろう。お茶受けの菓子にこだわる奴らだから、チョコレートも喜ぶだろう。

部内の定例会議の場でクッキーやチョコを食べたがる習慣を、彼は強権を振るってやめさせたのだ。副官のレッケンドルフが、上官や幕僚たちのためにいつもおやつを経費で購入していることを彼は知っていた。会議のお菓子は、わざわざ各人のお菓子の好みを聞いて回ったレッケンドルフが準備していたのだ。もちろん、その副官本人もおおいに食べていた。

胸の前で手を組んで高鳴る胸を押さえて待っていたフラウ・ブロムベルクに、彼は有名な鋭く光る色違いの瞳を向けた。チョコのショーケースの向こうのフラウは、視線が合うと彼の前に急いで飛んで行った。

「どちらになさいますか」

「これから言うものを500グラムずつ」

後ろで女性客が息を飲んだ。10グラムで一片がおよそ8センチx3センチほどの大きさ、それが300帝国マルクもするのだ。それが50倍…。

ロイエンタールはきびきびと迷いなく言葉を続けた。

「カマルグ産の塩とブラックチョコレート、オレンジピール入りブラックチョコレート、ローストしたアーモンドとブラックチョコレート」

フラウ・ブロムベルクは大きな1枚の板チョコをまず、専用の金槌で大まかな大きさにパンと割り、その後ゆっくり、パキン、パキンと注文の分量の大きさに折った。注文を受けながらフラウは、これは女性に贈るのではないわね、と思いなぜかがっかりした。もちろん、その女性は自分ではないから大量購入の客を喜んでいればいいだけなのだが。

ロイエンタールはまだ続ける。

「プラリネとブラックチョコレート、カカオ豆のチョコレート、ヌガティンチョコレート、ジャンドゥーヤ、ガナッシュ入りのチョコレート」

パキン、パキン。しんとした店内にいたチョコを割る音が響く。彼を見ている女性客たちは一様に口を開けて、眩暈がしたようなうらやましそうな表情をしている。ロイエンタールは少し首をかしげて黙っていたが、最後に「シナモンとミルクチョコレート」と言って締めた。

9種類を500グラム! 135000帝国マルク!!

フラウが震える手でチョコを包み、化粧箱に入れる。初代ブロムベルクの意気込みにもかかわらず、一度に高額な買い物をする客は多い。彼女が興奮しているのはもちろんそのせいではなかった。彼女はこれは部下に贈るためのものだろう、と目星をつけていた。このように手当たり次第、大量に買って部下に贈る上司は結構いるのだ。

ただ、彼女はなんとなく、最後のシナモンとミルクチョコレートは彼が自分の好きなものをこっそりしのばせたのではないか、と思いその発見に驚いていた。

その時、ロイエンタールが再び口を開いた。

「ああ、フラウ、大変お手数だが、同じものをもうひと揃いもらえないだろうか」

店内の女性客たちは一斉に心の中で『ワオ!』と叫んだ。

「少しお時間をちょうだいしてもよろしいでしょうか。もし、よろしければご自宅かお贈りになる方あてに直接お届けいたしますが」

ロイエンタールは腕時計を確認し、これからチョコの箱を持って自宅へ戻り、それから海鷲に行くのは面倒だと考えた。フラウに向かって頷く。

「ではご面倒だがそのようにお願いできるだろうか」

「もちろん喜んでお届けいたします。2セットともご自宅へお送りしてよろしいですか」

「そうしていただこう」

物見高い女性客の視線から遠ざけようとフラウは彼を店の奥のテーブルにいざない、会計をし、住所を記載する端末を渡す。支払い終えたロイエンタールが流麗な筆跡で、専用のペンで端末に住所を書き入れた。

フラウ・ブロムベルクは端末を受け取るとにっこりとほほ笑んだ。

「チョコレートは本日中にお届けいたします。誠にお買い上げありがとうございます。どうぞ、またお出でくださいませ」

「ああ、ありがとう」

そういうとロイエンタールは軍靴をカッと鳴らし、さっそうと店から出て行った。

チョコ40グラムを買った女性客とトリュフチョコを二つ買った友人は、ぼんやりしながら夜道を歩いていた。

「いいな、あたしもあんなにたくさんチョコを贈られたいな」

友人は鼻で笑った。

「なに言ってんの。たぶんあれはどっちも部下への贈り物だよ。恋人向けだったらあんな買い方しないって」

「そうかも。部下でもいい。部下になってブロムベルクのチョコたくさん食べたい」

「食べたいのはチョコだけ?」

「その言い方、なんかいやらしい」

女性二人はケタケタと笑うとオーディンの繁華街を急いで帰って行った。

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