top of page

理性の眠り ~5~

彼は完全に姿を消した。
翌日、ペルニーから彼の所在について問いただされたが、答えることは出来なかった。かのローエングラム伯とのつながりを悟られないためにも、それでよかったのかもしれない。
基地のある街の憲兵やホテル関係者にも密かに問い合わせたが、該当する人物は見つけることが出来なかった。
その朝、司令部の幹部を集めての朝礼のため広間に向かう際も、ペルニーはミュラーに謎の美形について問いただした。本当に行方を知らないと分かると夢見るような表情でため息をついた。恋煩いと言ってもいいその様子は滑稽だったが、ミュラーとてペルニーを笑えないと思った。
「あの夜は前後不覚になるほど酔ってしまって、彼は落胆して帰ってしまったに違いない。彼は普段は清楚で上品だが、ベッドでは淫らで大胆になるタイプだろう。どう思う?」
彼がどれほど大胆になれるかミュラーは知っていた。
「そんな性質の者が現実におりますでしょうか」
「彼こそ男が夢見る理想の恋人に違いなかった…。残念なことをした」
上官の馬鹿げた艶話に付き合いつつ、部下たちが待つ広間に入って行った。報告、訓戒、連絡事項。そこにリッテンハイム侯爵の元へ戻るシュミッツ准将があいさつにやって来た。リッテンハイム侯爵へのお礼状と豪華極まりない土産を、部下たちが拍手する中ペルニーが手渡した。それによってこの基地がいかにリッテンハイム侯爵に感謝しているか示すつもりなのだ。
シュミッツはにこやかにペルニーに礼を述べた。
「ご歓待くださりたいへんお世話になりました。リッテンハイム侯爵によい土産話も出来ました。それではこれにてオーディンへ戻ります。ところで閣下、少しよろしいですか」
シュミッツが何やら掲げて近寄るのを見て、ペルニーは虚心に手を伸ばした。
「なんだね」
その時、司令官室の外の廊下で争う声が聞こえ、ミュラー他一同ははっとして扉の方へ振り返った。
「おい! シュミッツ、何をするか!!」
ペルニーの声にぎょっとして室内を振り返ると、ペルニーはシュミッツに両手を拘束され、壁に押し付けられていた。
「准将! 何をしているんです!!」
「衛兵!!」
ペルニーの両手に電子手錠を掛けると、シュミッツはそれまでのにこやかな表情を消し去り、非情とも言えそうな視線をミュラーに向けた。
「我らが上官の命により、ペルニー少将を拘束する。歯向かうなよ、ミュラー」
「…なにを…!」
ミュラーが一歩シュミッツに近づいた時、扉がバンと開いた。ブラスターを手に振り返ったミュラーは突進してきた兵士たちの一団に囲まれ、抵抗する間もなく武器を奪われた。

 

「こんなことをしてタダで済むとは思うなよ! これは明らかに帝国に対する叛逆だ!」
「叛逆はあなたの方ではないですかな。商人どもと結託して軍需品をかすめ取り、課す必要もない租税を市民から取り立てている」
ペルニーが唖然としてシュミッツの顔を見つめた。広間にいた他の部下たちと共にミュラーは椅子に座らされ縛られていた。誰もが信じられない思いでその光景を見ていた。
最初に口を開いたのはミュラーだった。
「シュミッツ准将、あなたをこの地に派遣した上官とはいったい誰ですか」
シュミッツはミュラーをちらりと見たが、その問いにすぐには答えなかった。時計を確認すると耳に刺した小さな機器で外からの通信を聞き取っている。頷いて「よし―」と言うと初めてミュラーに振り向いた。
「私の上官はローエングラム上級大将閣下の命により、ペルニー少将により行われている不正を確認し、必要とあれば少将を逮捕する権限を与えられた。当基地はすでに我らが艦隊がすべて掌握している。抵抗は無駄なことゆえ、大人しくすることだ」
最後はペルニーに向かって言った。
ペルニーはこめかみに青筋を立てた憤怒の表情で拘束された椅子の上で身体を揺すった。
ミュラーが重ねて尋ねた。
「上官とは―」
「じきにここへお出でになる」
気がつくと先ほどまでざわめきが感じられた司令部内はしんとしていた。数発の銃声が聞こえたが、その後は不気味なほど静かだった。やがて廊下に人声がし、多くの兵士が立ち歩く気配がして、司令官室前に大勢の人間がやって来たことが察せられた。
突然扉が開き、さっとシュミッツが敬礼した。
そこに現れた人物を見たペルニーは文字通り、椅子から転げ落ちた。

 

ミュラーは銀河帝国宇宙軍の中将の軍服を着たその人物を茫然として眺めた。

細面の左右対称の顔立ち、少し長めのさらりとした前髪、優雅な立ち姿はまさしく彼だった。部屋の中を見渡していた視線がミュラーに落とされ、眉をひそめた。
少しミュラーに近づくと、「彼はどうしたんだ」とシュミッツに言った。
「抵抗するようでしたので、致し方なく」
澄まして答えるシュミッツに彼は苦笑して言った。
「からかうのはやめて自由にしてやれ、シュラー。彼なくしては今回のことは成らなかったのだからな」
拘束が外されてミュラーが立ち上がると、彼は少し頬を緩めて頷いた。ミュラーは彼の瞳に何か違和感を覚えてじっと見た。今に至るまで彼の顔を明るい場所で見たことがなかったのだ。

その切れ長の目に輝く瞳は左右で雰囲気が違った。色が違う…?
ペルニーが喚いた。
「君はあの夜の…! 軍人だったのか!? わしを欺いてどういうことだ! 何が目的だ!!」
「黙らんか! この方に無礼を申すな!!」
シュミッツが吠えた。
「シュミッツ!! 貴様はリッテンハイム侯爵を裏切ったのか!!」
「私は元からこの方の部下だ。偽名で失礼したな。私はロイエンタール艦隊所属、シュラー准将だ。以後よろしく」
「ロイエンタール…!!」
ペルニー以下、ミュラーや拘束されたままの部下に至るまで、目を見開いてその場を支配する優雅な姿に釘付けになった。ロイエンタールと言えば、ミッターマイヤー中将と並び称される帝国軍の誉れ高き勇将の一人だ。金銀妖瞳の持ち主としてその武勇と共に有名な提督は、今はローエングラム上級大将の幕下にある。

彼は万座の視線を集めながらも臆することなく、片方の眉を上げて面白そうな表情をした。
ミュラーが驚きにかすれる声で問いただした。
「まさか、あなたが…、あのロイエンタール中将…?」
「まさしく」
ロイエンタールは短くミュラーに答えると、ペルニーに向き直った。
「ここにいるミュラー大佐の告発により、卿は帝国と軍を欺いた罪により軍法会議に掛けられる。また、この基地は間もなく元帥になられるローエングラム上級大将閣下により追って正式な司令官が定められるまで、しばらくは我らが仮に治める」
そういうと、シュラー准将が手渡した書面を見ながら、ペルニーの罪状を淡々と述べた。それはまさしく、ミュラーが探り出した内容そのものだった。
ペルニーは青くなって喚いた。
「そんなことは私には関係ありませんぞ! 帳簿の改ざんをしたのはすべてここにいるミュラーの仕業です! 彼奴こそがこの基地の副司令としてすべてを統括していたのです!」
ロイエンタールは呆れたようにペルニーを見下ろした。
「ミュラーが集めた証拠によれば、改ざんは5年以上前からされているようだがな。たった1年前に赴任した副司令にすべての罪を着せる気か?」
「私は何もしておりません! リッテンハイム侯爵がお知りになったらお怒りになられますぞ!」
だが、急にペルニーの声音はおもねるようなものになった。
「あなたはあの夜、私と一緒に過ごしましたな。あの夜のことを口外されたくなかったら、私に任せてリッテンハイム侯爵の元にご挨拶に向かうべきではありませんかな」
「…ほう? 卿はおれを脅迫するつもりか」
「脅迫など…。ただ、私はあなたとのことを忘れることが出来ないだけです。私はリッテンハイム侯爵に大変ご信頼いただいておりますから、必ずやあなたのことも上手く話をつけて差し上げます」
シュラーが怒りに満ちた表情で一歩前に出たが、ロイエンタールはそれを押さえた。したり顔のペルニーが両手は拘束されたままの状態でありながら、胸を張るようにして反り返った。
睨み合う男たちの間に、突然、雑音交じりの大きな音声が聞こえた。
万座の者たちは何事かと四方を見渡してその音の出所を探した。
それは騒がしい場所で録音されたらしい、ある人物の話し声だった。
『―なんの、リッテンハイム侯爵は何でも知っているつもりなだけの井の中の蛙すぎん。ちょっとした贈り物と美辞麗句でころりと騙されてくれる―』
それはペルニーの声だった。ミュラーが掲げる小さな録音機から流れるペルニーの音声は延々と、リッテンハイム侯爵の御しやすさを聞き手に説き、ペルニー自身の知略がいかに侯爵を凌駕しているかを自慢していた。
その音声が続くに従い、ペルニーの自信ありげだった顔は徐々に俯いてしまった。
ペルニーの様子を見下ろして、ロイエンタールは片頬を歪めて皮肉そうな笑いを放った。
「なるほど、結構な忠誠心だ」
ペルニーは俯いて電子手錠を掛けられた両手を膝の間に落としていたが、縋るようにしてロイエンタールを仰ぎ見た。
「しかし…、しかし、あなたは私のことを憎からず思っていてくれるのでは…」
「あの夜のことを言っているのならば、おれは脅迫されたところで痛くもない。任務とあれば誰と寝ようと必要なことをするだけだ。なあ、ミュラー大佐」
ミュラーに顔を近づけて、思わせぶりにその肩を叩いた。ミュラーの肩がびくっと揺れて、遠くにいた者たちにもその顔が真っ赤になるのが見えた。ロイエンタールの後ろの方でシュラー准将がため息をつくのが聞こえた。
―彼には何でもないことなのだ、あの夜のことなど…。
すぐそばにある彼の澄ました顔を睨み付ける。その稀有な色違いの瞳と視線が合って、その目が楽しそうに細められた。
ミュラーの真っ赤になった顔を見て、ペルニーは何事かを悟ったに違いなかった。手錠が掛かった両手を潰さんばかりに握りしめて口の中で唸った。
まるで手負いの獣のような唸り声にミュラーが振り向くと、ペルニーの右手の指から一閃、鋭い光が放たれた。咄嗟にロイエンタールに飛び掛かるとその光はミュラーの背中を貫いた。
「閣下!!」
シュラーのものらしき怒号がして、ペルニーのハイエナの如き金切り声、兵士たちの喚き声が広間にこだました。
「ミュラー! この馬鹿ものが!!」
ミュラーの薄れゆく意識の中で、彼の叫ぶ声がいつまでも響いた。

 

 

軍病院の一室でミュラーは上半身を固定されてベッドに半分起き上がった状態で終日過ごしていた。
彼の肩甲骨はペルニーが指輪に仕込んでいた携行小型ビームにより粉砕された。人工骨への置換はこの基地では適切な技術を持つ医師がいない。イゼルローン要塞に移動してそこの病院で手術、治療に専念することとなった。
病室には『ナイトハルト・ミュラー准将』という名札が掲げられ、戸口には警備兵が立っていた。
「卿のお陰で軍服が1着、駄目になった」
オスカー・フォン・ロイエンタール中将は病室のベッドのそばに立って腕を組んで、ミュラーを見下ろしていた。
ミュラーはビームの全量を背中に受けた。ロイエンタールはそのおかげでミュラーの傷口から溢れ出た血を浴びるだけで済んだのだから、文句を言う筋合いではない。ミュラーは肩をすくめたかったが、その肩は固定されていて動かなかった。
「あなたには怪我もなく何よりでした」
「おれになど構うことはなかった。お陰で卿はローエングラム元帥府への参集に大幅に遅れることになるぞ。しかし、肩を一つなくしただけで少将に昇進できるならお安いものか」
ミュラーが昏睡状態にあった数日の間にローエングラム上級大将から、正式に准将として幕下に迎えられる旨の通知があった。そして、彼が知らない間にローエングラム元帥府に着任した暁には少将に任ぜられると決まった。それはロイエンタール中将を救ったことに対する褒章であるとの説明があった。
「ですが、私は何もしていません。実績もないのに突然少将に昇進するなど、いいのでしょうか…」
「卿はこの基地で司令官の乱脈な統治による被害を最小限に抑えることに心を砕き、さらにその不正を暴いた。この宙域を適切に防衛したことも功績に含まれる。未だ大艦隊を率いたことはないかもしれぬが、卿に対しそれを為すだけの実績も能力もあると閣下が認められたのだ。いいのでしょうか、などと気弱なことを言うのはよすんだな」
ロイエンタール中将の言葉はミュラーにとって過分なものだった。淡々として語るその言葉は皮肉も嘲笑の影もなく、すんなりとミュラーの心に染み入った。
「これまでしてきたことに対して卑下する必要はない。だが、むしろ問題なのは、少将としてこれからローエングラム元帥閣下の御許でいかに過ごすか、と言うことではないのか」
その言葉にミュラーは力強く頷いた。
彼がこれほど思いやりのある言葉で励ましてくれるとは意外なことだった。だが、彼が帝国軍のあまたの将兵から実力、人柄共に尊敬され、敬愛される将である事実を考えると、意外でもないのかもしれない。
「―ありがとうございます」
ロイエンタールは頷くと、急に窓の方へ歩いて行き外を眺めた。もしかして、熱心な言葉で励ましなどして照れ臭かったのかもしれない、とミュラーは思った。彼が為すことすべて意外なことばかりだった。
ロイエンタールが咳払いをして振り向いた。
「…そういえば卿の止血をしようとして、これを卿の懐から見つけた」
軍服のポケットから取り出したのは、染みが付き皺だらけになった薄絹のかたまりだった。血に浸され、洗ったものの完全には落ちなかったものらしい。
「これに見覚えがあるのだが。―卿は男のネッククロスなどを懐に入れて持ち歩く習性があるのか」
秘密が明らかにされてしまい、ミュラーは少し赤くなって彼の顔を見ながら答えた。
「あなたもローエングラム閣下の金髪をお持ちでしょう。それと同じです。あなたの縁となるものを身近に持ち、あなたを感じていたかった。あの…、ご迷惑でなければそれを私にください」
「汚れている。それに、元帥府に出仕すればいくらでもおれに会えるだろう」
その言葉に、ミュラーは押し黙って彼の顔をじっと見た。
「また会ってくださるのですか…?」
「くださるも何も、おれと卿はどうやら同じ上官の元に仕える同輩になるのだと思ったが」
「しかし…。私はあのようなことをあなたにした…」
ロイエンタールはため息をついた。
「ミュラー、おれは嫌なことは強制されてもしない。卿と過ごすのが嫌だったら、おれは死んでもあの部屋から逃げ出しただろう」
「…でも、ペルニーには…」
「あれは任務だからだと言っただろう。卿のためにやっただけだ」
「あなたはあの夜、欲しいと言った。あれは本当のこと…?」
ロイエンタールは腕組みしてそっぽを向いた。
「おれはぐだぐだ同じことを聞かれるのは嫌いだ」
ミュラーは自分の顔が赤くなっているに違いないと思った。『卿のために…』。嫌ではなかったと? 結局彼が言うとおり、ミュラーの部屋に自らやって来たという事実は、もともと彼がミュラーを受け入れるつもりだったということなのだろうか。
しかし、彼はミュラーより上位にあり、彼自身は『同輩』と言ってくれてはいるが、階級だけではなく、実績の面でも雲泥の差がある。ロイエンタール中将の華々しい戦績の数々は衆目の認めるところだ。
「ロイエンタール中将。これまでの度重なる無礼をお許しください」
ロイエンタールはミュラーの真面目な顔を不思議そうに見た。
「改まって謝る必要はない。おれの方こそ隠密の行動で卿に名乗りもしなかったのだから」
「しかし、けじめをつけたいのです。元帥府に出仕した後もあなたにこだわりなく会っていただくために」
ミュラーは辛うじて肘から下のみ動かしてロイエンタールに手を差し伸べた。彼はその動きに気づいて手を取ってくれた。
「そして、あなたに認められるだけの功を立てると誓います。その時にはまた、私を受け入れてください」
「―愚かなことだ。卿が誓いを立てるべきはおれではなくローエングラム閣下だろう。―だが、卿の言葉は覚えておこう」
ロイエンタールはミュラーの手を離すと、ベッドから離れた。離れる時にくしゃくしゃになったシルクのかたまりをミュラーの手元に落とした。
「これは卿のものだ。好きにすればいい」
彼はそう言うと振り返りもせずに行ってしまった。シルクは彼のぬくもりを残しているように思えた。
ミュラーは汚れてくしゃくしゃの布を手のひらに感じながら、微笑んだ。身体は大怪我のため固定され、長期の休養を余儀なくされるにもかかわらず、彼は笑顔だった。
「必ずあなたをこの手に…。―また」
もう何も偽ることはない。彼自身の力が試される大きな舞台に立つことが出来るのだ。

 


Ende
 

My Worksへ   前へ   

This website is written in Japanease. Please do not copy, cite or reproduce without prior permission.

bottom of page