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2回目のプロポーズ

「どうか、フラウ・ミッターマイヤーとして俺が任地へ向かうのを見送ってほしい」
ロイエンタールはあっけに取られて跪くミッターマイヤーの横顔を見ていた。店中の者が彼を見ているのに、それに気づかず、ただ目の前で震えているエヴァンゼリンしか目に入っていないようだった。
―おまえ…! もうプロポーズはしたんだろう! そんなことをする必要があるのか!?
ロイエンタールに言わせれば、衆目の前で女の前に跪いて懇願するなど、彼の理解を超えるいらざる儀式だ。もし、自分が女で誰かが自分の前に跪いたら、その間の抜けた格好に笑い出してしまうに違いない。
だが、ミッターマイヤーは間抜けには見えなかった。レストランの床に跪いて己を虚しゅうしていながら、背はまっすぐに頭を高く上げ、捧げ持つ小さな箱はまるで宝冠が乗っているかのように恭しく、彼の力強い手のひらに収まっていた。
だが、その手が目に見えて震えているのに気付いた。あのミッターマイヤーが、どのような敵に遭遇しようとも露も動じない、剛毅で大胆な男が、ただの女の子の言葉一つを待って、震えているなど…。
ロイエンタールは見ていられないと思った。早く、この幕間劇に誰か終止符を打ってくれ…! 彼の顔はミッターマイヤーと同様にひどく紅潮していた。周りで見ている客たちの視線が痛いくらいに感じられた。貴様ら、さっさと自分の食事に戻って、ミッターマイヤーの焦りを助長するかのように見つめ続けるのをやめろ…。
だが、もし誰かがミッターマイヤーを指さして笑いでもしたら、彼はその不届き者を即座に殴り倒すことだろう。
エヴァンゼリンはじっと胸の前で両手を握りしめていた。なぜ彼女は何も言わないんだ? さきほどのように、頭に血が上ったミッターマイヤーをたしなめるべきではないか? 「ウォルフ、皆さんが見ていますわ、おうちに帰ってからじっくりお話ししましょう」、とでも言うべきではないか。いや、本当にこの女がそんなミッターマイヤーを侮辱するようなことを抜かしたら、おれは何をするか分からんぞ…。
ロイエンタールは今や、彼女がいつ「ヤー」と言うか、もし言わなかったらそのフワフワした可愛らしい巻き毛が遊ぶ後頭部をひっ掴み、ミッターマイヤーが跪く床にたたきつけてやる、とまで考えていた。
―早く言え! ヤーと言え! ミッターマイヤーをこれ以上馬鹿げた格好で跪かせるな!!
店中の者がロイエンタールと同様に熱烈に祈っていることに彼は気づいていなかった。
その時、彼女の小さな手がためらいもなくすっと伸び、ミッターマイヤーの手の上に優しく置かれた。
「はい、ウォルフ。そうします」
わあっ、と店中の客からため息とも歓声ともつかぬ大きな声が起き、多くの者が感に堪えたかのように立ち上がった。熱心な拍手まで起きた。
ロイエンタールは喜んでいた! ようやっと馬鹿げた寸劇が終わったことを!! やれやれだ!!
だが突然、自分が祈っていたのは何だったのかに気づいた。
ミッターマイヤーは、本当に、結婚することになった。
「ロイエンタール―」
彼は混乱していた。あのような晴れがましい、はち切れそうな笑顔のミッターマイヤーは見たことがない。いや、きっとあるはずだ、あれと同じ、まるで夢見るような満面の笑顔を見たことが…。
親友の溢れんばかりの幸せがロイエンタールに押し寄せ、彼を圧倒した。親友が喜んでいることは喜ばしい、彼が幸せであるなら自分も幸せだ―。だが、違う、違うんだ。おれが望んでいたのは彼がこんな風に幸せになることではない、いや、彼には幸せになってほしい―。
「…素敵! 私もあんな風にプロポーズされたい…!」
「…若者たちの愛は素晴らしい…」
「…お幸せに…!」
周囲の客たちが口々に喜びを言葉にしていた。だが、その中の何人かは幸せなカップルについてのみ、言葉を発しているのではなかった。
「…ねえ、あのハンサムな彼は二人のお友達なのかしら…?」
「…彼は二人の愛のキューピッドなの!」
「…茫然としているように見えるわ、きっと彼も彼女のことが…」
ロイエンタールのぼんやりとした思考の中にはまだ、彼を支えているものがあった。彼は悲しみや怒りのような大きな感情でさえ、その真っ只中にすっかり身を浸してしまうことが出来なかった。そのような逃避は彼には許されていなかった。
彼を支える誇りはあまりに大きすぎて、彼自身のあらゆる感情を締め付け、支配し、決して揺るがなかった。
―彼女を…!? おれがあの女の子を…!? 冗談じゃない!
ロイエンタールのあらゆる思考は彼の誇りを守ろうと急速に回復した。それは順序立てたものではなかった。その優秀すぎる頭脳は筋道立てて考える必要などなく、一気に結末までたどり着いた。
ロイエンタールは少し脇によって、客たちと一緒に拍手をしている人の良い支配人に合図をし、近寄った相手に低い声で言った。
「私の親友と婚約者を祝うため、卿に少し手伝ってほしい。店中の客に行き渡るだけのシャンパンを用意してもらえるか」
支配人は驚きと喜びを押し隠して、青年士官の輝く瞳を見つめた。
「はい、もちろんでございます。すぐにご用意できます」
「結構」
ロイエンタールは短く言うと、支配人と握手をした。握手をした手の中に黒光りするカードを忍ばせ、支配人に手渡す。支配人は手の中の感触を確かめ、ちらりとそのカードに目を落とし頷いて見せた。支配人はかつて高級ホテルに勤めていたから、それが選ばれた人々だけが持つことが出来る万能のカードだとよく知っていた。

 

誰もが笑顔のあたたかい雰囲気の中、チンチン、と軽やかな音色が店内に響いた。
シャンパングラスをフォークで鳴らして、人々の注意をひきつけたロイエンタールが、にこやかに周囲の客にお辞儀をした。
「皆さん―」

 

舞台を続けなければならぬ
舞台を続けなければならぬ
心は打ちひしがれ
化粧は剥げ落ちようとも
我が微笑みは残り続ける

 

Ende

 

Show Must Go On; produced by Queen
 

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