top of page

ホイベルガー艦長とロイエンタール中尉の間柄が何かうまく運んでいないようであるのは、うすうす気づいていた。ホイベルガー艦長は30くらいの年齢で軍人一家の息子であると誰かから聞いた。平民出身でこの年で少佐なのだから順当な出世のはずだが、イゼルローンのこんな裏側に引っ込んでいるので、めったに軍功を上げる機会がない。この隊の者の例にもれず不遇を恨んでいた。
艦は間もなくデブリが多数浮遊する一帯に近づこうとしていた。
その日もまた、ミッターマイヤーは休憩時間の終わりに食堂でロイエンタールを見かけた。ロイエンタールの方は入れ違いにこれから休憩に入る。彼の方へ行ってみようかと思ったが、その席の周りに数名の彼の部下がいて、何か話し合っていた。部下の下士官(バーデン軍曹ではなかった)と兵の誰かが熱心に頷きながら、ロイエンタールが話すのを聞いている。何を話しているかは遠慮して近づかなかったミッターマイヤーには分からなかった。だが、その声の調子の淡々としていながらもしっかりした声音と、それを聞く部下たちの目が熱意で輝いているのを見て、なぜかほっとした。ロイエンタール中尉は艦長とは上手くいっていないようだが、部下とはしっかり心を通わせているようだと感じられた。
ロイエンタールはこちらへ背中を向けていたが、ミッターマイヤーに気づいた下士官がその存在を知らせたようだった。ロイエンタールと部下たちの視線が一斉にミッターマイヤーに向けられた。ロイエンタールが何か用があるのか、と言いたげにちょっと口を開けて首をかしげた。部下たちが席を立とうとしたので、ミッターマイヤーは手で押さえる身振りをして、「また後で!」、と言った。ロイエンタールが感謝するように頷いて、再び部下たちの方へ向き直った。やはりロイエンタールの言葉ははっきりしなかったが、明るく軽やかな笑い声が聞こえた。
ミッターマイヤーはなんとなく和やかな気持ちになって持ち場へ戻った。

艦橋では艦長が在席しており、徐々にデブリ群へ近づいていることをバーデン軍曹が報告していた。艦長は強い語気でバーデンを叱責していた。
「―先ほどから障害がおこっており…」
「その原因をはっきり確定するのが卿の任務だろう」
「遠隔操作が出来ておりませんので、もう少し近づけば何とかなるかと思うんですが」
「この帝国の軍人足るもの、思うんですがなどとはっきりせんことを言うな」
まだ二十歳のバーデン軍曹は真っ赤になって「申し訳ございません」と言った。
艦長が息継ぎをした時にすかさずミッターマイヤーは「戻りました」、と声を張り上げた。
「このまま当艦が進むことは出来ない。誰か士官の指揮で偵察させる」
無人偵察機を出したが電波障害が激しく途中で通信が途絶えていた。障害がおこっているために遠隔操作が利かないというので、ミッターマイヤーの不在中、艦長はバーデン軍曹と協議していたものらしかった。バーデンの上官のロイエンタールは現在休憩中だった。
ミッターマイヤーは首をひねった。
「バーデン軍曹の指揮で少し当艦から先行させ、そこから無人偵察機を繰り出しましょうか」
「バーデンは我が艦で最も通信技術に優れている。その彼に長く持ち場を離れてもらっては困る。当艦はこのままこの位置を保ち、ロイエンタールに直接偵察機を指揮させ、デブリ群付近まで行かせる」
ミッターマイヤーは仰天した。その必要があるとは思えなかった。
「ロイエンタールをわざわざ向かわせずとも、接近させるのは無人機であれば十分かと思いますが」
「無人機では埒が明かんと言っておるのだ。となれば誰か向かわねばなるまいが、卿は副長としてここにいる必要がある。残るはロイエンタールしかおるまい」
艦長が厳しい目でミッターマイヤーに振り返った。
「当艦がこのまま警戒態勢を保ちつつ、デブリに近づくべきではないでしょうか。ロイエンタールを偵察に出したところでまた通信途絶になっては危険です」
「デブリ群まではあとどのくらいだ、バーデン」
顔は艦長に向けながらも視線を俯けて、バーデン軍曹が固い口調でその距離と当艦が到達する時間を答えた。
「偵察機はおそらく8時間でデブリ群と当艦を往復できる。その間、通信途絶はデブリ群に最も近づく2時間くらいのものだろう」
「しかし…」
「偵察に於いてロイエンタールは経験豊富だ。それがために褒賞を受けたこともある」
「それは存じませんでした。ですが、ここはイゼルローン回廊です。みだりに有人偵察機を繰り出すことは危険―」
「危険と言うか、ミッターマイヤー。当艦は単独で哨戒任務に当たっており、誰もが危険を分かち合っている。ロイエンタールもその危険を承知でイゼルローンに来たはずだ」
ミッターマイヤーは小さく口を開けて、ホイベルガー艦長の表情がいつになくこわばっているのを見ていた。
「これは命令だ、ミッターマイヤー中尉。デブリ群の探査にはロイエンタールを向かわせる。無論、十分な安全策を取る。私は何も彼を裸で宇宙に放り出すという訳ではないのだ」
艦長の最後の言葉は副長の疑念を慰撫するかのようにささやかれた。だがそれは、ミッターマイヤーの心を軽くさせることはなかった。

ミッターマイヤーはロイエンタールの私室に直接向かった。呼び出されたロイエンタールが眠そうな目をしていたとしてもミッターマイヤーは意外に思わなかっただろうが、案に反して冴え冴えとしたいつもの様子で扉まで出てきた。彼もまた兵士らしく眠りが浅いか、あるいは眠っていなかったのだろうか?
「なるほど、承知した」
艦長の命令をミッターマイヤーから聞き終わると、ロイエンタールはためらいもせずに言った。同僚の口元には冷笑が浮かんでいる。その様子をミッターマイヤーは眺めていたが、やがてためらいがちに言った。
「もしかして、卿はホイベルガー艦長とは以前からの知り合いか」
ロイエンタールは冷笑を収めて、極めて真面目な表情をミッターマイヤーに向けた。彼がこのように色違いの涼やかな瞳をじっと投げかけると、ミッターマイヤーは常に戸惑いを覚えた。ただの慣れの問題だろうか? ロイエンタールの瞳は目に見える以上のものを忍ばせているように思えた。
「卿はまた、おれがために何か艦長に言ったのだろう」
「当然だろう、卿が直接探査に行くなど馬鹿げている。そうしたら卿は偵察に優れていて褒賞を受けたことがあると艦長は言うんだ。だから行かせるのだと」
くっくっく、とロイエンタールは声を押さえて笑った。皮肉めいた表情で目を輝かせている様子が、まるでいたずらを仕掛ける子供のように魅力的に見えると言うのも不思議だった。
「おれはその時褒賞を受けたが、彼の方は早々に負傷し何もできなかった。その時はおれが彼を背負って逃げたんだ」
「以前も艦長が上官だったのか」
ロイエンタールは妙な目つきでミッターマイヤーを見た。憐れんでいるとも、ミッターマイヤーの無邪気さを不思議に思っているとも言えそうな表情だ。
「いいや、彼はおれの同僚だった」
艦長が中尉だった時の? それはいつのことだろう。艦長は長く大尉を務め、ほんの最近少佐に昇進した。もっと詳しく聞こうとするミッターマイヤーを制して、ロイエンタールは私室から出た。
「もし、卿と再び会えるようであれば詳しく話しても構わんが、どうせなら卿とはもっと有益な会話を楽しみたい。さっき、食堂で何か話があったのだろう?」
「たいしたことじゃないさ」
思いがけないロイエンタールの言葉に、少し気持ちが軽くなってミッターマイヤーは叫んだ。だが、急に同僚の言葉遣いに気づいた。
「もし、などと言うなよ、ロイエンタール。卿とは8時間後にまた会えるのだからな」
「そうだな。何時間後になるか分からんが、会えることは会えるだろう。おれも宇宙の藻屑になる気はないからな」
「気を付けてくれ」
ロイエンタールは微笑んだ。初めて見る皮肉の影のない、柔らかな表情だった。
「卿は良い漢だな」
その白く細い手のひらがゆっくりと上がり、軽くミッターマイヤーの肩を数回叩いた。そのリズミカルな接触に驚いたミッターマイヤーが当の相手の表情を確かめる前に、ロイエンタールは通り過ぎて行ってしまった。

休憩を早めに切り上げて艦橋に現れたロイエンタールは、ホイベルガー艦長からの命令の言葉を遮った。
「副長から聞きました。ご命令に従うにやぶさかではありませんが、条件があります」
藪から棒にそう言うと、通信、工作、操船等の各部署の人員から精鋭6人の同行を求めた。その他、探索用のシャトルには各種武器弾薬、通信機器、資材、食料など非常の際に必要なものあらゆるものを要求した。
『裸で宇宙に放り出すという訳ではない』と言った手前、艦長はロイエンタールの言葉を飲まざるを得なかった。艦長が何か言う前にミッターマイヤーも加勢して重量が許す限りの食料と資材を大急ぎで積み込ませた。
アポロニアの通信部門の責任者はバーデン軍曹が担うことになった。緊張する部下を相手にロイエンタールは手短に打ち合わせを済ませた。ロイエンタールは艦長に敬礼して挨拶すると、ミッターマイヤーにはただ頷いて見せただけで、部下を引き連れシャトルに乗り込んだ。
探索用シャトルはしばらくアポロニアに先行して進み、やがて通信を保ったまま、デブリ群の方へと速度を速め、肉眼ではじきに見えなくなった。いずれ次第に通信が弱まり、ついには途絶することだろうが、今のところはバーデン軍曹によって順調に虚空を突き進んでいることが確かめられた。
探査機が後に残した光の航跡が薄れていくのをミッターマイヤーは艦橋のモニタから見つめていた。ロイエンタールは艦長から望みの人員と資材を得ると、何も言わず、ためらいも見せずに探査機に乗り込んだ。
向かった先には宇宙ゴミが浮遊しているだけだ。通信状況が良くないとはいえ、よく整備されたシャトルに頼れる部下と共に乗り込んだのだ。しかしミッターマイヤーは言い知れぬ不安を感じていた。その不安の出所は今、艦長席でミッターマイヤー同様にモニタをじっと見つめていた。
ミッターマイヤーは視線を漂わせた。
「バーデン軍曹、彼らとの通信はまだ無事か?」
「はい、まだあと数時間は持つと思われます。すでにだいぶ弱まっていますが」
ロイエンタールが十分な装備を搭載して探索に向かえるよう手配した。ミッターマイヤーに出来るだけのことはしたのだ。後はあの男の運と才覚に任せるしかない。
「彼らが心配なようだな、ミッターマイヤー。卿は私が無慈悲にも無謀な任務に送り出したと思っているのだろうな」
艦長が問いかけたので、ミッターマイヤーはそちらへ振り返った。
「無謀だとお思いならなぜ、そのような任務を命じられましたか」
「必要な任務だからだ。ロイエンタールであれば難なくこなすだろう」
ミッターマイヤーは艦長の言葉には答えずに自分の席に戻った。艦長は何かロイエンタールに対して含むところがあり、あえてこの任務を与えたとの思いがミッターマイヤー、―上官の命令の正当さを信じたい部下としての彼と、同僚を心配する友としての彼―、の内面を苛んだ。
しばらくロイエンタールの出立と不在などなかったかのように、艦は順調にデブリ群に向かって進んだ。
だが突然、バーデン軍曹が声を上げた。
「通信が途絶しました!」
艦長が眉を不快そうにひそめてその叫びにどなりつけた。
「慌てるな! 彼らの通信が途絶することは予想のうちではないか!」
「違います、我が艦は現在、いずれの方面とも通信が途絶えています! 途絶える前に何者かの妨害電波を捉えました!!」
イゼルローン回廊でただ一隻漂う戦艦の様子が脳裏に浮かび上がったと同時に、一斉に各部署のアラートが鳴り響いた。
「巨大な熱量が接近中…!」
「衝突回避…!! シールドを…」
艦長が立ち上がった途端に悲鳴のような声が答えた。
「駄目です、避けられない…!!」
衝突の大音響がミッターマイヤーの耳朶を打った。艦は前後左右もなく衝撃に揺らぎ、艦長が自席から床へ叩きつけられた。

 

『敵侵入』の警報が鳴り響く中、ミッターマイヤーは昏倒した艦長を起そうとする下士官を慌てて引き留めた。
「下手に動かさない方がいい―! 急ぎ船医を呼べ」
モニタにはアポロニアの舷側に正体不明の戦艦が取り付いている様子が映っている。ふと、すぐ近くにバーデン軍曹が緊張した面持ちで立っているのに気付いた。
「バーデン軍曹、ロイエンタール中尉達は?」
バーデンはぼんやりしているようだったが、ミッターマイヤーの声にようやく正気づき、激しく首を振った。

 

誕生日に来た男 ~3~

My Worksへ   前へ   次へ  

bottom of page