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ウェディングケーキ

ホテルの前に高級地上車が停まり、可愛らしいワンピースとジャケットを着た可憐な女性と立派な軍服の青年が降り立った。青年士官は上の空で小さいスーツケースをベルボーイに預けると、女性の手をしっかり握ってフロントへ歩いて行った。
フロント係は青年が告げた名前ににっこりして、ルームキイを差し出した。
「ミッターマイヤー少佐様、フラウ・ミッターマイヤー様、お待ちしておりました。お部屋をご確認になりますか」
「そうだね。見させてもらおうか」
客のプライバシーを重視したフロント係の控えめな言葉に、ミッターマイヤーはにっこりした。確かに、新婚ほやほやですぐにもホテルの部屋に直行したいだろうと思われたくはないものだ。
案内された部屋はこのホテルの新婚カップル向けのスイートとは言え、華やかかつ上品なしつらえで、ピンクとハートと薔薇とリボンが混在したイメージに恐れを抱いていたミッターマイヤーをほっとさせた。経験者の副長とその夫人のアドバイスのおかげだ。
「どう? エヴァ、この部屋でいいかな」
「もちろんですわ。とっても素敵」
エヴァンゼリンの輝くような笑顔を見れば、この部屋が気に入ったことは一目瞭然だった。二人とも、これほど豪華で広々した部屋には泊まったことがなかった。ミッターマイヤーもこの部屋の住人になれることに少しワクワクした。
二人は手を取り合って部屋の中を探検した。居間は二人掛けの大きなソファとテーブルがあり、明るい光が差して窓から隣接した公園の緑が見え、まるでリゾート地にいるようだった。ルームサービスのメニュー表に軽食付きのお茶やコーヒーのサービスがあることをエヴァが目ざとく見つけた。
しゃれた扉の向こうにバスルームがあり、そこには大きな鏡のドレッシングルーム、その奥にジャグジー付きのバスタブまであった。その二人並んで入ってもなお余るような大きなバスタブを見て、ミッターマイヤーとエヴァンゼリンは顔を見合わせた。そのままなんとなく黙って、まだ見ていない部屋を見に行く。
ベッドルームには今まで見たことがないほど大きな天蓋付きのベッドが、最高のスプリングのマットレスに清潔なシーツといくつものフワフワした枕と共に二人を待ち構えていた。
ベッドルームの戸口に立った二人の間に居心地の悪い沈黙が落ちた。握りあった手が熱くなったように感じた。
ミッターマイヤーは何か言わなければと思ったが、気の利いた言葉は何も出てこなかった。
―疲れただろう、ちょっと休む…? いやいや。先にシャワーを浴びて…、いやいやいや…。
控えめなコホンという咳払いがして、エヴァンゼリンが小さな声で言った。
「ウォルフ…、シャワーでも浴びます? それとも…」
―それとも!?
ミッターマイヤーはぎゅっとエヴァの手を握り返した。
「…お茶を飲んで少し休憩しましょうか?」
「そそ、そそうだね。熱いお茶を飲んでゆっくりこの部屋を楽しもうか」
エヴァが手早くフロントにビジフォンをかけてお茶のサービスを注文した。ミッターマイヤーはその姿を見ながら、ぼんやりとソファに座って考えた。居間のキャビネットに備え付けられた鏡に映った自分は意外にもいつも通りの顔で、別に目が血走っていたり興奮していたりするようには見えず、ほっとした。少なくともエヴァを怖がらせるようなことをしそうには見えない。
先ほどから、脳裏ににやにや笑っている親友の姿が浮かんでいた。
もちろん、エヴァが嫌なら無理強いはしない。しかし、エヴァは当然処女であるわけだし、多少の強引さを発揮する責任が自分にはあると感じられた。
―だけど、いつ、どのタイミングで? シャワーを浴びるとしたら、俺が先か? エヴァが先か? どうやってそういう話に持っていく?
また、親友がにやにや笑っている顔と『一緒に』、という太字のゴシック文字が浮かんだ。
―くそっ! あいつだって結婚したことはないんだから、あいつは俺の指南役にはなれないはずだ!
しかし、少なくとも女性を自然な形でベッドに誘う手管の一つか二つ、10くらいは持っていそうだった。

 

二人掛けのソファに並んで座って、二人はお茶を飲みながら話した。
その日、二人で通り抜けた結婚の儀式のこと、披露宴でたくさんの友人たちが集まって大騒ぎをしたこと。一瞬一瞬がとても大切な時間で、それがもう過ぎてしまったことがとても残念で、信じられないほどだった。二人とも、ロイエンタールが現れてエヴァンゼリンに約束を迫った瞬間だけは口にしなかった。そのことだけは軽々しく言葉にしてはいけないように感じていた。
二人で経験したその日のことを話しているうちに、自分たちが他人ではないことをひしひしと感じた。この日、同じ経験、同じ感動や感情を抱いた者はこの世にお互いだけなのだ。
ミッターマイヤーは黙って隣に座っているエヴァンゼリンの手を取った。エヴァの可愛い巻き毛がミッターマイヤーの顎にフワフワと触れ、その頭が彼の肩に乗せられた。疲れて寝てしまったのかな、と思い、のぞき込むと静かな菫色の瞳に見つめられた。
ミッターマイヤーは気がつくと、その瞳に吸い込まれるようにエヴァに屈みこんで、接吻していた。
最初はそっと唇を合わせるだけだったが、彼女の反応を確かめるようにミッターマイヤーが唇に舌を走らせると、それは少しだけ開いた。無理やりその中に入り込みたい衝動を抑えて、優しく舌を滑り込ませ、彼女がその感覚に馴染むまで待った。
だが、エヴァンゼリンの震える冷たい手がそっと自分の首に触れると、頭の中が白熱したようになった。ミッターマイヤーは無我夢中でエヴァの頭を押さえ込んで唇を味わった。エヴァはその勢いに驚いたようだが、彼から離れようとはしなかった。一心に唇と舌を追いかけて彼に答えようとしているのが分かった。
彼女のワンピースに包まれた細い腰に手をまわし、自分の身体に押し付けた。それはどこをとっても柔らかで、しなやかに感じた。だが手の中に感じる温かさと少しの重みが夢ではなく実態を伴ったものであることを思い出させた。
腰から手を滑らせて、そっと胸の上に乗せると、その場所がビクッと無意識に動いた。唇を華奢な首に押し付けながら、何度か手のひらを離さずに優しくさするようにすると、布越しにも胸の頂点が主張しているのが感じられた。
エヴァのすすり泣くような小さな声が聞こえて、ミッターマイヤーは顔を上げた。
ソファに押し付けられて、エヴァは確かに半分泣きそうな顔をしていた。しかし真っ赤になったその顔の中で、潤んだ瞳がきらきらと輝いて、じっと彼を見上げていた。
突然、彼女がちっとも嫌がっていない、彼を待っているんだとはっきり分かって、ミッターマイヤーは自分まで泣きそうになった。
もう、お互いに遠慮する必要はないのだと確信した。
ミッターマイヤーはエヴァの額に接吻して、優しい声で言った。
「シャワーを浴びておいでよ」
潤んだ瞳のまま、震える唇でエヴァが小さな声で答えた。
「…ウォルフ、あなたからお先に」
君こそ先に、いいえ、どうぞ先に、という押し問答の後、じゃんけんで順番を決めた。頭の中で親友がどんなに笑おうとも、さすがに一緒にとは言い出せなかった。

 

ミッターマイヤーは何とか冷静さを保とうと、銀河帝国宇宙軍の軍規を暗唱できる限り暗唱しながらシャワーを浴びた。その努力は先ほど知ったばかりのエヴァンゼリンの柔らかい胸―服の上からではあったが―、に関わる想像にたびたび中断された。
バスローブを着てシャワーから出ると、ベッドルームへ直行した。エヴァの姿は見つけられなかったが、軽い足音がして別の部屋を通ってシャワールームに入ったことが察せられた。今、彼女の顔を見たらどうなるか分からなかったから、ミッターマイヤーはほっとした。キングサイズのベッドの真ん中で、それぞれ違う弾力の5つの枕に身体を預けて、天井を見上げた。
次にエヴァンゼリンが現れるまで最低30分はあったはずだが、彼は後から思えば真に何も考えずにぼうっとして過ごしていたに違いない。
気がつくと、ベッドルームの戸口にエヴァが立っていた。
ミッターマイヤーには何やら判別しがたい綺麗なレースとリボンの薄い生地の、主に初夜に夫を幻惑させる目的で作られたガウンを着て裸足でそこに立っていた。
「エヴァ―」
明かりを背後にして、そのガウンから彼女の華奢な身体がすっかり透けて見えた。
まったくどうやってそこまで歩いて行ったのか、きっと宙を飛んで行ったに違いない。足の裏で床を踏んだ覚えがなかった。ミッターマイヤーは気がつくとエヴァを抱きしめて戸口に立っていた。
エヴァも彼をぎゅっと抱きしめて顔をバスローブの胸に埋めた。
彼女の両足をすくい、横抱きに抱き上げると「きゃっ」、と驚いたような小さな叫びが上がった。そのままベッドに運んでエヴァを降ろし、自分もその上に膝をつくと思いがけずにスプリングが勢いよく跳ねた。
エヴァがくすくすと笑ったので、彼も笑い出した。もう一度、勢いよく膝をつき、両手を彼女の顔の側面に置くと、再び盛大にスプリングが跳ねた。
くすくす笑う彼女の唇に唇を合わせ、彼も笑いながら何度も角度を変えてその口の中を味わった。彼女も伸び上ってミッターマイヤーの頭を腕に抱きかかえるようにして、彼の顔に唇を走らせた。
いったいどうなっているか不明ながら、ひらひらしたレースとリボンの海をかき分けると、そこに彼女の真っ白で滑らかな太腿が現れ、その感触に我を忘れた。顔のすぐ近くにはだけた胸元がちらりと見え、唇でレースを選り分けると、白いクリームのようにふっくらとして、艶のある苺のように甘そうな胸が現れた。
「可愛いなあ」
ミッターマイヤーが思わず言うと、エヴァンゼリンが子犬の鳴き声のような声を上げて彼の肩を叩いた。その子犬の泣き声から察するに、恥ずかしいからやめて欲しいと言いたいらしい。
叩かれてもちっとも痛くない、むしろ愛撫のように感じてそのレースの中に顔をうずめた。手を太腿に走らせながら、同時にどちらも舐めてしまいたいと考えた。エヴァの子犬の泣き声がますます大きくなって、それは彼女がこらえきれずに上げる喘ぎだと分かった。
エヴァは片手の甲を口元にあてて、もう一方の手はミッターマイヤーのバスローブの襟をつかんでいた。口元の手を取って、ミッターマイヤーは自分のバスローブの中の胸の辺りに持って行った。彼の肌に触れて、その小さな手はびくっとした。だが、そのまま彼の胸の上を探るように撫でた。その手をずらしてバスローブの中の裸の背中にしがみつこうとした。
ミッターマイヤーを胸の上に乗せて、彼にしがみつき、エヴァは両足をきつくすり寄せていた。それに気づいてミッターマイヤーは早くも自分に限界を感じていた。とてもではないが、長時間持たせる自信がない。だが、エヴァを怖がらせたくない。
彼はそっとレースと薄絹の間の彼女の白い平らなお腹に手を走らせた。エヴァはびくっとしてミッターマイヤーのバスローブを掴んでいた手で引っ張った。ミッターマイヤーは自分の手を裸の二人の肌の間に挟みこませたまま、空いている方の手で彼女を抱きしめた。彼自身がバスローブの中から彼女に伸び上ろうとしていた。それはエヴァの太腿に触れ、はっと息を飲んだことから彼女もそれを感じたようだった。
ミッターマイヤーは彼女のお腹から震える手をゆっくり下におろした。
「エヴァ―」
突然、部屋のチャイムが鳴った。

 

チャイムは遠慮がちながら、再び鳴った。
「嘘だろ…」
ミッターマイヤーが一番に考えたのが、軍務に関する問題が発生して、誰か呼びに来たのではないかということだった。次いで友人たちのいたずらではないかと気付いた。だが、軍務に関連することかもしれない、と気付いてしまうと、その可能性を捨てることが出来なかった。
「ウォルフ…」
エヴァンゼリンの控えめな声が聞こえた。
「無視しよう」
「でも、もしかして、軍務のことだったら…」
彼女もその可能性に気づいたのだ。気づいてしまうと、二人ともそれを無視することができる性質ではなかった。
ミッターマイヤーは大きく息を継いで、エヴァの上から身体を持ち上げた。実のところ、先ほどまでの熱はすっかり引いてしまい、チャイムの理由を確かめずには何もできそうになかった。
「何の用だか見てくる。君、そこにいて、動かないで」
エヴァがくすりと笑って頷いた。
「どこにも行きませんわ」
バスローブの前をしっかり合わせて、厳格なミッターマイヤー艦長の顔でインターフォンで扉の外に問いかけた。
「何事だ」
『申し訳ございません。ミッターマイヤー様。どうしても緊急でお届けしなくてはならないというお言いつけでございまして』
「誰の言いつけだ?」
『ヴィーゲンリートとおっしゃる方です』
「ヴィーゲンリートだと?」
もちろん、ロイエンタールの艦の名前だ。親友に何かあったかとはっとして、ミッターマイヤーは扉を開けた。
エヴァンゼリンはしばらくして、部屋の向こうでミッターマイヤーが悪態をつく声を聞いた。彼女は急いでローブを羽織ってからベッドルームを出て行った。
「ウォルフ、大丈夫ですの?」
「ああっ、くそ! あいつめ!!」
ミッターマイヤーは何か、白い箱を手に持って、真っ赤になって怒っていた。
急いで彼の元に走り寄って、エヴァはその顔を覗きこんだ。心配そうな表情に気づいてミッターマイヤーは苦笑いをする。
「ごめん、びっくりさせて。軍務のことじゃなかったから大丈夫」
「そうなの? でも…」
エヴァンゼリンは夫の手の上のものを見た。
「これなんですの?」
「なんだと思う? ヴィーゲンリートから緊急と言われて扉を開けたら、何のことはない、ロイエンタールからお祝いの贈り物だと言うんだ! なんでこんな時間に!」
「ロイエンタール様から? お祝いをいただくなんて、良かったではありませんの」
ミッターマイヤーは唸った。
親友が自分の結婚に関してどう思っているか、ミッターマイヤーは自分が全く分かっていないことに気づいていた。最初、婚約したことを告げた時、自分を貶すようなことを言った。それきり、ロイエンタールが結婚について何か言ったか聞いた覚えがない。浮かれていたせいと、忙しかったせいで、親友の考えをはっきり追及する機会を失ったままだった。
だから、今日、結婚式の場に親友が現れた時、驚くと同時にとても嬉しかった。現れない可能性があるとなんとなく思っていたのだ。ロイエンタールがエヴァに約束を要求したことには唖然とした。だが、親友の女性一般に対する複雑な態度を知っていたから、そのせいだろうかと思った。あの男としてはエヴァを信じたらしいだけで十分と言えた。
「しかし、何を贈って来たんだろうな」
結婚を祝っているかもわからない男から、わざわざこの時間を指定して贈り物が届く―。ミッターマイヤーは再び、親友のにやにや笑いが浮かんだ。
―絶っ対、わざとだ。あいつめ!
エヴァンゼリンが夫の手から白い箱を持ち上げ、テーブルに置いて蓋を開いた。とたんに、嬉しそうな声を上げた。
「まあ、やっぱり、『4姉妹』のトルテですわ!!」
満面の笑みを浮かべてエヴァがミッターマイヤーを見上げた。
「エヴァ、『やっぱり』って…。君、外箱でわかったのか? トルテだって!?」
エヴァはミッターマイヤーの言葉を聞いているのかいないのか、箱の中を覗きこんで言った。
「『4姉妹』のトルテは予約がいっぱいでなかなか買うことが出来ないの。まあ、綺麗な薔薇の飾り!」
いそいそと箱から薄いピンク色のトルテを取り出し、うっとりしてテーブルに乗せた。上にクリームで出来た薔薇らしい花が一面に飾られている。
まごうかたなきトルテだった。軍務との関連などありえない。
「なんでトルテ? いや、もしかして君あてなのか? 『4姉妹』ってなんだ?」
エヴァンゼリンがにこにこして答えた。
「『4姉妹』はオーディンでここ数年人気がある、お野菜を使ったトルテのお店なの。お野菜だからヘルシーなうえに、とても綺麗でおしゃれなトルテで、お店は毎日行列だし、オーダーメイドのトルテは、1年先まで予約でいっぱいらしいのよ」
「野菜のトルテ!?」
自分あての贈り物などではないことを確信した。
「ウォルフ、いただきましょう」
「エヴァ…」
「ね、お野菜だから夜遅くに食べても大丈夫! 大きさは二人分にちょうどいいし。もちろん、とっても美味しいって評判なのよ」
確信ありげなその言葉に、ミッターマイヤーはエヴァンゼリンがこれを食べるまでは絶対にベッドのことなど考えられないと理解した。
「ロイエンタール様は女の子が好きな物をよくご存じなのね、ウォルフ」
「…そうだよ、エヴァ…。あいつときたら、とんでもない冷酷で、無情で、ひどい奴なんだ…」
「まあ! ウォルフ! いけないわ、お友達をそんな風に言うなんて!!」
エヴァはびっくりするほどの剣幕で夫を叱った。いや、真実の意味ではまだ夫になっていないのに、叱られた。
ちょっと怒った顔で、ソファに座ったエヴァは隣の開いている席を勢いよく叩いた。そこに座れという訳だ。ミッターマイヤーは大人しく、その指示に従った。
トルテの箱にはご親切にもナプキンにくるまれたフォークまで付属でついていた。ミッターマイヤーはそのフォークの先端で、脳裏に浮かぶにやにや笑いの親友の顔を何度も突きまくった。
エヴァはどこから食べようか迷うように、にこにこしながらじっとトルテを見つめていた。
「えーい、ここから。まあ、ほら断面も層になって綺麗ね、ウォルフ」
「…そうだね…」
エヴァンゼリンはその小さな一口をパクッと食べた。
「美味しい! お野菜の味もしっかりするのに優しい甘さで、生地も滑らかで美味しい」
料理評論家の如き感想を述べると、ほころんだ笑顔のまま、夫の方に振り返った。
「ごめんなさい、ウォルフ、先に食べちゃって。我慢できなかったの」
「…いいよ」
やっぱり可愛いな、などと思い、少し親友のにやけ顔を忘れた。エヴァが再び、今度は大きくフォークにトルテを取った。
「はい、あーん」
「あーん…」
ミッターマイヤーは途中で気づいて目を白黒して仰天した。当然、両親がいる家で、『あーん』などと、エヴァに食べさせてもらったことなどなかった。
―あ~! 何の心の準備もせずに! 『あーん』の感動をもう一度…。
「今度は私ね。もう一口…」
エヴァが先ほどよりさらに大きくフォークに取った。にこにこして大きく口を開け、スポンジが刺さったフォークを近づけた。
ミッターマイヤーはそのフォークを持つ手を強引に自分に向け、トルテを一口でパクッと口に入れた。
「あ~! ウォルフ!! ひどい!!」
両手でミッターマイヤーの胸を叩いて、まさかと思うが、泣きそうな目で見上げた。ミッターマイヤーはクリームとスポンジを口に含んだまま、じわじわと胸がいっぱいになるのを感じた。
がっしと彼女の腰を掴むとその可愛い口に自分の口を押し当てた。目をまんまるに見開いて、エヴァンゼリンは口渡しにトルテを食べた。
半分涙目で、恥ずかしそうに真っ赤になってもぐもぐと食べながら、ミッターマイヤーを睨み付けている。ミッターマイヤーは口に残ったスポンジを食べながら、自分がにやにやと笑っているのに気付いた。
「もう…っ」
用心深い仕草で再びフォークにトルテを取ると、エヴァンゼリンは一口食べた。だが、口の中のものを咀嚼しない。
じっと上目遣いで夫を見ていたが、そっと近寄ってトルテを含んだ甘い口を夫の唇に寄せた。ミッターマイヤーはそれを受け入れ、二人で唇を合わせながらもぐもぐと食べた。
もう一度、エヴァはフォークにトルテの最後のひとかけらを取った。
今度はミッターマイヤーの口にフォークを近づけ、それが夫の口の中に入るのを見ていた。エヴァンゼリンはフォークをそっとテーブルに戻し、夫のバスローブの胸に両手を添えた。
ミッターマイヤーはエヴァンゼリンの腰を引き寄せて、最後の小さなスポンジのひとかけを彼女の口に移した。
食べ終わっても、二人の唇は離れることはなかった。

 

ミッターマイヤーは親友を許すことにした。

 


Ende
 

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