
Season of Mackerel Sky
日が昇るころ~4~
彼らはそれから10日目にようやく助け出された。レッケンドルフは帝国軍と通信がつながった日から、ありとあらゆる外部の通信社、放送局、新聞社に連絡を取り続けた。どこもしばらくは応答がなかったが、やがてある新聞社と通信が取れた。
この火災は一連の人為的に起こされた大規模な爆発によるものであり、現在、帝国軍によって救援活動が進められているらしい。どうやら、ハイネセンが壊滅的な状況であることは本当のようだった。市街地の30パーセントが火災で焼失し、特に中心地の被害が最も甚大であるため復旧に時間がかかっていると教えられた。その新聞社も支社の通信機器を流用してなんとか稼働しているとのことだった。
レッケンドルフは自分たちがシェルターに閉じ込められて、いつ来るかもわからない救援を待っていることをその新聞社に訴えた。そして、外部との連絡を取り続ける間に、同様に閉じ込められて不安に思っている他のシェルターと、偶然通信しあうことが出来たと伝えた。レッケンドルフは新聞社に向けて、それらのシェルターの場所(壊滅した状況ではかつての住所は役に立たないと思われたが)、代表者の名前などをリストにして送り付けた。
この災害による死者、行方不明者の数は大きなものだったが、市内に多数ある戦時および災害用の退避シェルターが大いに役立ち、数多くの市民が救われたことが分かった。それは旧同盟政府の施政の最後の善行として扱われ、災害発生時以来、初めての明るいニュースとして新聞で大々的に取り上げられた。
帝国軍は、そのレッケンドルフが作成したリストに沿って救援を差し向けることになった。それは大小100を超えるシェルターで、リストの記録は住所、代表者の氏名、シェルターにいる人員、けが人の人数から重症度に至るまで詳細を極めていた。レッケンドルフが何と言おうと、これだけの記録が偶然探し出されたとはだれも思わなかった。かつてハイネセンの行政部門のどこかにシェルターの設置場所の記録があったはずだが、それは火災で失われたため、この記録がまさしく唯一の救援のよりどころとなった。
レストランの地下にあるシェルターから支配人とレッケンドルフが最後に出てきたとき、地上には報道陣が詰めかけて彼らが救出される様子を写真や映像にしておさめようとしていた。レッケンドルフは驚いたが、そんな周囲の状況をよそに、何とか持ちこたえたけが人たちを医療関係者に無事引き渡し、シェルターの住人たちと別れの抱擁を交わした。特にボードリエや娘のエステルとは、必ず近いうちに再会しようと約束した。
レッケンドルフは彼のコメントを求める報道陣には手を振って別れた。そして、憲兵に連れられて地上車でその場を去った。
彼はその日のうちにフェザーンへの帰還が決まった。
ハイネセン郊外にある自分の官舎は全く無傷で残っていると聞いて、レッケンドルフは許可を得て急いで自室へ戻った。端末を立ち上げてみて、問題なく動いたので安堵した。これさえあれば、もうハイネセンにも、帝国軍にも何の未練もない。
彼はこの数日の間、シェルターでずっと同盟の人々と語り合い、通信を取りつつ、あることを考えていた。それは自分の人生の一つの場面が完全に終わってしまったのだということだった。いや、それは閣下が亡くなった時にもう終わりかけていたのだ。だが、閣下へ向けた敬愛の名残ゆえに、帝国軍にも愛着を感じ、これからもずっと同様に軍人として暮らしていけると思っていた。しかし、もう自分が帝国軍のために出来ることは何もなく、何かしたいとも思わないことに気づいた。
彼はこの救援を求める自分の行動によって、自分が帝国軍のブラックリストに載ったらしいことに気づいていた。憲兵は彼を腫れものを扱うように地上車に乗せ、連れていかれた先では何の事情も聞かれずに、フェザーンへの帰還を言い渡された。
ハイネセンの各新聞社の記事は帝国軍の不手際を盛んに責めたてていた。レッケンドルフとしてはこの地に不慣れな帝国軍の状況と、想像を超える被害の大きさから、帝国軍には同情の余地があると思っていた。だが、けが人の緊急度や自分たちの不安な状況と比べると、帝国軍を責めたくもなろうというものだ。もし閣下がまだ総督としておいでだったら…? だが、そんなことは考えても無駄なことだった。
そしてレッケンドルフは、考えられるあらゆる手段をとって救援が早まるように最善を尽くした。多くの人の生き死にが関わるときに帝国軍の面子など考えられなかった。
端末とわずかな荷物を持って、レッケンドルフはフェザーンへ向かう艦に乗った。それはフェザーンへ帰還される皇帝陛下の後続の補給部隊の一部だった。ようやくフェザーンへ帰ることが出来たのは、皇帝陛下のお供の最後尾に組み込まれたからに他ならなかった。その中でただ単に便乗客として一室を占めた。誰も彼と関わろうとしないのを幸い、レッケンドルフは宇宙にいる間、ずっと端末に向かって過ごした。
補給艦が大半の後続部隊はゆっくりと宇宙を進んだ。おそらく、皇帝陛下はとっくにフェザーンに帰着されているものと思われた。だが、レッケンドルフはフェザーンに連れて行ってもらえるのなら、いつ到着しようが、どれだけ遅くなろうが気にならなかった。それだけ、自分の作業の進みがはかどるだけだ。業務日誌を確認し、閣下の記録を取る毎日は順調に過ぎて行った。
ようやく7月のその日、皇帝陛下が帰還された倍の時間をかけて後続部隊はフェザーンに降り立った。乗員は皆、艦長から一兵卒に至るまで早く地上におりたくてうずうずしていた。さすがにレッケンドルフもこの日は端末に向かう気になれず、早く外へ出る許可が出ないかと荷物をまとめて待っていた。早く外に出ることが出来れば、それだけ早く自分の作業に戻ることが出来る。
やがて艦長から一同へ明朝までの待機命令が出た。解放されることを待っていた者たちは諦めのため息をついた。誰もが長期の外征で家族や友人たちの顔を早く見たくて待ちきれずにいたのだ。しかし、軍隊勤めの性として、上官の理不尽な命令にも従わなくてはならない。
レッケンドルフは艦の窓から外を見て、久しぶりのフェザーンが嵐のような大雨に見舞われていることに気づいた。きっと朝にはこの雨も上がっているだろう。そして、明日地上に降りたら真っ先に出頭して、退役願いを出すのだ。通常であればそう簡単に除隊などできないが、今の自分の状況では案外すんなりいくのではないだろうか。むしろ、現在の状況は好機だと思う自分の心理に苦笑する。もちろん、皇帝陛下や閣下のかつての同僚である提督たちに対する敬愛の念はまだ失われていなかった。だが、彼らの存在も彼らを敬愛する感情もすべて、遠くかけ離れて今の自分とは関係のないことのように思われた。
―そうだ、結局はすべて閣下あってこその私だった。あの方の人生を生き、あの方のためだけに私の存在があった。あの方が亡くなった時、私の軍人としての生のすべてが終わったのだ。それでは今の私は何だろう。これから私は何をすべきだろう。
閣下のためにあったと言っていいこの数年間ではあったが、今の自分はけっしてその抜け殻などではないと思った。あのハイネセンでの無為の日々の間は、まるでそのように思っていたが、今はそうではない。特に、あの災害に遭い、救援を得ようと奮闘していた数日間に、彼は自分が生きる力にあふれていることを実感した。彼の中にはあらゆる若い生命がみなぎり、ここ数か月を無駄に過ごしたことを悔いていた。ぜひ閣下の記録を完全にしたい。だが、自分が進む道はそれだけではないような気がした。
翌朝、朝食を食べている時にも、彼はまだこれからについて考えていた。いつの間にか少し先行きを楽しみにする気持ちが生まれてもいた。ハイネセンの貿易商、クロード・ボードリエと娘のエステルが、落ち着いたらすぐにもフェザーンに行くと言っていたことを思い出したのだ。彼らに会ったら、これからについて相談できるだろう。将来について考えるいい方法を教えてくれるかもしれない。
その時、艦長による緊急の放送があるため、総員その場で待機せよとの命令があった。食堂に集まった士官たちは一様に顔を見合わせ、高級士官でさえそのような放送があるとは知らずにいたと分かった。
やがて、食堂のスクリーンに艦長の姿が映った。艦長の厳しく青ざめた顔色を見て、何か一大事が起こったと誰もが緊張した。
『昨夕7月26日、我らが皇帝陛下は、仮皇宮において崩御なされた。我々は皇帝陛下のご葬儀の準備を担うことになるだろう。それまで各自、官舎で自粛して待機するように』
食堂内はしんとして誰も疑問の言葉も、驚きの声さえあげなかった。皇帝の不予については知らされていた。病が篤く明日をも知れぬご容態だということも―。だが、これほど早く…?
スクリーンの艦長の目から滂沱として涙があふれ、震える手が額に当てられた。
『皇帝陛下万歳! 帝国よ永遠なれ!!』
敬礼した艦長がそう叫ぶと、スクリーンが暗くなり艦内放送が終了した。
誰もが茫然としていた。その後は艦内のほうぼうで、ぼんやりした者たちが起こした不手際に満ちた。ようやくレッケンドルフが艦の外に出た時には、すでに昼を回っていた。
レッケンドルフは自分の荷物をもったまま、周囲を見渡した。何も変わらない、普段のフェザーンだ。昨日の嵐はすっかり晴れて気温も上昇し、暑い日になりそうだった。
レッケンドルフは手を日にかざして、遠くのフェザーン市街の高層ビルを見た。思いがけず、雨の後の埃が払われたすがすがしい空気が肺に満ちて、彼を驚かせた。
―そうだ、私は生きている。私はまだまだやれることがある。
彼は荷物をしっかり肩にかけ、外の世界に向かって歩き出した。
ロイエンタール元帥伝
序文
―私はその日、とうとう新しい命令を受け、大急ぎで友人たちの元へ飛んで行った。
「大変だ! 聞いてくれ、私の新しい上官はあのロイエンタール提督なんだ!」
友人たちは驚き、喜んで私の幸運を祝してくれた。私は新しい任務に就くときにお決まりの若干の不安を抱えながらも、素晴らしい上官を得たことによる興奮を抑えることが出来ずにいた。
だが、私は初めて上官に目通りした時でさえまだ気づいていなかった。これから誰も経験したことのない、唯一の輝きを持った荒々しい日々が行く先に待ち受けていることを。
そして、あの時代だけが生み出すことの出来た絶え間ない嵐の中に、オスカー・フォン・ロイエンタールという人物が指揮する艦に乗り込み、彼と共にその嵐を切り抜け、ついには私自身かつて思いもしなかった場所に辿り着くことになるのだということを。
―エミール・フォン・レッケンドルフ
Ende